ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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「歴史とは……」
「歴史とは、現在と過去との対話である。」
これはイギリスの歴史家、E・H・カーの言葉です。
現在は現在として、独立して存在しているのではありません。
現在は過去の延長線上にあり、未来は現在の延長線上にあります。
過去を知らずして現在を知ることはできませんし、現在を知らずして未来を展望することはできません。
だからこそ、将来如何にあるべきかに思いを馳せる人は、現在が如何なるものであるかを知ろうとし、それゆえに過去を知ろうと欲します。
そして、過去をどう捉えるかによって、現在をどう見るかも違ってきます。
現在を知るためには、どうしても過去を知らねばなりません。
歴史を軽んずる人は、現在を、そして将来をも、軽んずる人です。

とある歌のなかに、
「人は愛を紡ぎながら歴史をつくる」
と云うくだりがあります。
歴史を学ぶと云うことは、人物の名前や起こった事件の年代を憶えることではありません。
歴史を学ぶと云うことは、現在は名も知られていない無数の人々が、泣き、笑い、苦しみ、怒り、悲しみ、喜び、楽しみ、……、精一杯、生きてきたことを、その生きざまを、その生活を知ることです。
その時代、時代を、懸命に生きてきた人たちの心を、気もちを、理解することです。
その人たちが、なにに憤り、なにを求め、なにに喜び、なにに悲しみ、なにに苦しんだのか、……、それを理解しようとする心こそ、歴史を学ぶと云うことなのです。

とある漫画のなかに、石仏を研究している人物が登場します。
その人物が、なぜそんなものの研究をしているのか、と、問われ、答えます。
「むかし、たくさんの人たちがさ、自分たちのいろんな願いがあって、いろんなことを聞いてほしくて、石の地蔵さんをつくって、その地蔵さんに、いろんなことを、訴えかけてたんだよね。
いまはもう、その人たちはいなくなってさ、だけども、地蔵さんはいまでもそこにあってさ、いまはもういないその人たちの声に、いまでも耳を傾けてるんだよね。
いまはもう、その人たちがどんなことを願ってたのか、どんな思いでその地蔵さんを拝んでたのか、分からなくなっちゃったけど、でもそれでも、いつか俺にも、そんな人たちの声が聞こえたらいいな、と、思って、さ」
歴史を研究する人たちの心に共通した想いです。

「歴史は暗記もの」と信じて疑わない人々は、みずからの不明不徳を恥じ、その心性の貧しさを反省するべきでしょう。
| Mac | 歴史散歩 | 13:06 | - | - |
『蜘蛛巣城』と云う映画がある。
『蜘蛛巣城』と云う映画がある。
シェークスピアの『マクベス』を、日本の戦国時代に置き換えてつくられた、黒澤明監督第16作目の作品である。
スピルバーグ監督が初めて観た黒澤映画であり、スピルバーグはこの作品を黒澤監督のベスト・ワンに挙げている。
この映画が公開された1957年(昭和32年)、黒澤監督は渡英された。
同年十月、英国の首府ロンドンで、第一回ロンドン映画祭を兼ねた国立映画劇場の開場式が催されることとなり、その式典に際して、「映画芸術に最も貢献した監督のひとり」として、招待されたのである。
同様に招待されたのは、アメリカのジョン・フォード(『駅馬車』、『荒野の決闘』)、イタリアのヴィットリオ・デ・シーカ(『自転車泥棒』、『靴みがき』)、フランスのルネ・クレール(『巴里の屋根の下』、『巴里祭』)の三人、いずれも錚々たる面々である。
「映画芸術に最も貢献した監督」と云うよりは、「映画史をつくってきた監督」と云うに相応しい顔触れである。
黒澤監督は、式典などの晴れがましい席にお出になることは好まれなかったが、このときばかりは、
「とにかくジョン・フォード、ルネ・クレール、デ・シーカじゃ、君、行けないなんていえないよ」
と、淀川さんとの対談でおっしゃっておられる。
その映画祭で、この『蜘蛛巣城』上映された。
ラスト、三船敏郎さん演じる鷲津武時(マクベス)が、部下に裏切られて、無数の矢を放たれる。
その矢の一本が三船さんの首を貫通する。
そのとき鋭い嬌声があがり、失神した女性がいた、と、云う。
さもありなん。
その迫力は、なんど観ても凄まじい。
なにしろ無数の矢弾が、散弾銃さながら、雨霰と飛んで来るのである。
その矢の柄が重なって、向こう側が見えないくらいである。
みな本物である。某大弓道部の協力を得て、とにかく、三船さんの周囲に、本物の矢を撃ち込ませたそうである。
この迫力は、とてもCGではだせない。
「なにしろ、こっちへ逃げようとしたら、こっちへ(と、両手で矢が飛んで来るさまを示して)バラバラバラ、でしょう。
そんでもって、こっちへ逃げようとしたら、こっちへ、バラバラバラ。
あんときゃあ、ほんとうに絶叫しながら、逃げまわってたんだ」
と、三船さんは後年のインタヴューで語っておられる。
黒澤組のスタッフは云う。
「あのシーンは、黒澤さん(の、三船さんへの信頼)あってこそ、できたシーンだし、三船ちゃん(の、黒澤さんへの信頼)あってこそ、できたシーンだね」
そのさすがの三船さんも、撮影前夜は緊張と恐怖のあまり、一睡もできなかった、と、云う。
そして撮影が終わった後は、鎧兜のお姿のまま痛飲し、泥酔した揚句、宅にあった猟銃を持ち出して愛車に乗り込み、黒澤さんのお宅をまわりながら、
「お〜い、黒澤のバカヤロー、出てこ〜い」
と、騒ぎながら、一晩中、その銃を射ちまくっていたそうである。
“世界のミフネ”ならではの、スケールの大きな事件だが、三船さんも三船さんなら、黒澤さんも黒澤さん、“世界のクロサワ”である。
その翌朝、すっかり酔いも醒め、恐縮しきってお詫びに訪れた三船さんに、
「なんだ、昨夜、やたらに騒がしいと思ったら、キミだったのか」
と、ニッコリ笑われた、と云うことである。

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東宝
| 映ちゃん | 気まぐれシネマ・デイズ | 12:53 | - | - |


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