ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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現在はどうか知らないが……
現在はどうか知らないが、一昔前の中国では、宴会などで出された料理は、残すのが礼儀だったらしい。
それが、「食べきれないくらいに充分にもてなしていただきました」と云う、もてなされる側の言分であり、「充分に客人をもてなした」と云う、もてなす側の満足であった。
その供された料理を食する際にも、いかにも美味しゅうございます、と、云わんばかりに、ピチャピチャと音を立てて食べ、食べ終わった後には、もうお腹いっぱいでございます、と、云うことを表すために、大きなゲップをする。
それが、中国風のマナーだと云うことである。
一夕、会社の慰安会に参加した。年配から若者まで、男女を問わず、来日する中国人旅行者や韓国人旅行者のマナーの悪さを大いに弾劾しておられた。
しかし、少なくとも、食事時のマナーにかんするかぎりは、みな中国風を、キッチリと、順守しておられたようである。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 13:39 | - | - |
「井戸塀政治家」と云う言葉がある。
「井戸塀政治家」と云う言葉がある。
正確には、「あった」と、云うべきであろう。
これは、政治家になるには金がかかる。選挙に出るには莫大な金が要るし、いろいろな人間の面倒も見なければならない。その金を工面するために、先祖伝来の山林田畑を売り払い、遂には家屋敷まで手放して、あげくには、井戸と塀しか残らないようになる……、と、云うところからきた言葉である。
幼時この言葉を教えられた吾人は、
「なるほど、政治家になったら、あちこちからようけ金もらえるようになるし、そうなったら、井戸や塀のある家にも住めるようになるねんなぁ」
と、思い、その勘違いを嗤われたものである。
しかし世の中には、「無知の諧謔」と云う言葉がある。
案外現在では、吾人の幼時の解釈のほうが、「井戸塀政治家」と云う言葉の真実をうがっているような気がしてならない。
| 遊冶郎 | 気まぐれなコラム | 13:23 | - | - |


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