ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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修学旅行
平成8年12月、ペルーの日本人大使公邸がテロリストたちによって占拠された。
日本にとっては、阪神大震災以来の、危機管理能力が問われる大事件であった。
この事件は、当時のペルー大統領フジモリ氏の決断による強行突入によって、幕を降ろした。
事件後、当時の総理大臣、橋本龍太郎氏は、ペルー人で人質となっていたギュスティ最高裁判事と兵士二人の家族を日本に招待した。
その家族たち――とりわけ子どもたち――は、東京ディズニーランドや江戸博覧会などを見物し、大いに愉しんだ。
橋本首相も、満足げであった。
一日、橋本首相と面会したギュスティ判事の娘さんは云った。
「ディズニーランドも江戸博覧会も愉しかったですが、せっかく日本に来たのだから、ヒロシマに行きたい。
わたしたちは“被爆”と云うものを知りません。この機会にぜひ、“被爆”と云うものの実態を目にしておきたいのです。
ぜひ、ヒロシマに行かせてください」

いま日本の中学生、高校生たちが修学旅行に行く行先は、どこだろうか?
東京ディズニーランド? ディズニー・シー? USJ? それとも、海外だろうか?

ひめゆりの塔、知覧航空基地、広島や長崎の原爆資料館……。
これらの地が、これからの日本を背負って立つべき、若き人たちの修学旅行先に選ばれないとは、日本はなんと、情けない国に成り果ててしまったのだろうか……。


| Mac | 気まぐれなコラム | 12:52 | - | - |
男女七歳にして……?
『虞美人草』のなかに、主人公の小野さんが、京都から上京してきたかつての恩師父娘を、博覧会に案内する場面があります。
その様子を、たまたま藤尾たちに目撃され、後日藤尾に、遠回しに責められるのですが、そのくだりで、漱石は次のように書いています。
「若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵とはいわせぬ。」
おや? と、思いませんか?
明治期に、若い男女が連れ立って歩く、しかもそれが「当世である」と、云うのには、意外の感をおぼえませんか?
『三四郎』にも、団子坂の菊見に行った美禰子と三四郎が、野々宮君や広田先生とはぐれ、二人で郊外を散歩する様子が描かれています。
我々は(少なくとも、わたしは)、明治の人たちは、「男女七歳にして席を同じゅうせず」の教えを受けて育ったもの、と、思っているのですから。
しかしどうやら、それは誤解であったようです。
明治の御世は、現在我々が想像するよりも、よほど自由で、のびのびした時代だったようです。
黒澤明監督が仰っておられました。
「(黒澤監督のデビュウ作『姿三四郎』の)あの魅力って、なんだと思う? えっ? あれはね、明治の、あの明るさなんだよ。明治の頃のあの明るさが、あの作品の魅力なんだよ。明治の頃って云うのは、ほんとに明るい、のびのびした時代だったんだよ」
司馬遼太郎氏は、幕末から日露戦争にかけて、日本が成長発展していった時期を描いたご自分の作品に、『坂の上の雲』と云う題を付されました。
“明治”と云う時代は、まさに日本が、“坂の上の雲”に憧れ、“坂の上の雲”にたどり着くことを目指して、ひたすらに坂を登って行った、そんな時代だったのでしょう。
| 築山散作 | 気まぐれなコラム | 08:00 | - | - |


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