ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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人生いろいろ……
♪人生 いろいろ〜
とは、島倉千代子さんのヒット曲の一節である。
その親しみやすいメロディと、すんなりと共感できる歌詞とによって、多くの人の口の端にのぼった。
特定多数のファンのみによって支えられている今日此頃の“アイドル”の歌とは、根本から違う歌である。
陳腐な表現をあえて使えば、“大人から子どもまで”知っている歌、歌った歌、口ずさんだ歌、である。
2004年(平成16年)当時の内閣総理大臣:小泉純一郎氏が、国会の衆議院決算行政監視委員会で、かつて所属していた会社での年金問題を問われ、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と、答弁したことでも、有名になった。

さて、まさしく、人生行路は十人十色、人生いろいろ、である。
“弁護士”と、云えば、“エリート”、“インテリ”、“スマート”、“頭いい”、“金持ち”、等々のイメージを抱く方が多いのではなかろうか?
「都心のビルにこぎれいな事務所を構え、美人の秘書や若手の弁護士を抱え、りゅうとした背広を着た、細身の紳士」
世人が抱く弁護士のイメージとは、そんなところではないだろうか。
ところが、弁護士もいろいろ、で、ある。

戦後からの復興期の京都に、ひとりの弁護士がいた。
当時人気のあった各界の雄:双葉山になぞらえられるほどの、でっぷりと太った男で、彼はその体型を恥じて、家に風呂をつくったほどだった(当時は家に風呂のある家庭は珍しく、たいていみな、銭湯に通っていた)。
その生活も、息子が、「うちはホンマに弁護士なんやろか? 被告なんちゃうやろか?」と、思ったほど、貧しかった。

その息子さんが語っておられた。
「戦後の復興期やからね、長屋持ってる大家さんなんか、自分の持ってる長屋潰して、マンション建てよう、ビル建てよう、云うわけで、その長屋に住んでる人たちに、出て行け、云うわけですよ。
ところが、そんな長屋に住んでる人たち、出て行け、云われたかて、行く先あれへん、頼る人もおれへんわね。
そんで、うちの親父んとこへきて、先生、なんとかしてください、云うわけですよ。
ほしたらうちの親父は、よっしゃ、まかせとき、云うて、その人らの弁護に立って、裁判して、その人らが長屋出ていかんでもすむようにするわけですよ。
ほんで、長屋の人たちが、その人らも貧乏やから、弁護料なんて、よう払わんわね、ほんで、その人たちが、一升瓶持って、みんなでうちきて、先生、ありがとうございました、おかげでわたしら、長屋出ていかんですむようになりました、いままでどおり、ここに住んでられるようになりました、云うて、みんなで頭下げるわけですよ。
親父は一升瓶もろうて、あぁ、そうか、そうか、そりゃ、よかったなぁ、云うて、ニコニコしとる。
ぼくはそんな親父見て、あんたは酒もろうて、ええやろうけど、うちら家族はどないすんねん。
そんな長屋の貧乏人の味方するより、大家の方についた方が、よっぽど儲かるのに、思うたもんですよ」
そんなお父さんの話をなされた息子さんのお顔からは、”どうだい、うちの親父は偉いだろう”と、云わんばかりの、誇らしげな笑みが、”こんな親父の倅に産まれてきて、よかったなぁ”と、云わんばかりの、なんとも嬉しそうな輝きがあふれていた。

そんな弁護士さんもいるかと思えば、大企業の顧問弁護士になって、サーヴィス残業、長時間労働、不払い労働をうまく隠蔽させ、TVに出演してタレントまがいの人気を得、知事の市長のとなって、自治体の利益を、自分の仲間と云う“市民”たちに配分している弁護士もいる。

まさに、人生いろいろ、である。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 10:19 | - | - |


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