ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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小満の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(豆腐、乾燥わかめ、とろろ昆布)、ブリの南蛮漬け、小松菜のわさび和え、生野菜サラダ、べったら漬け、南蛮漬けの素、冷奴、納豆、味付海苔


最初は鯖の酢漬けを料理ろうと思った。それが、鯖よりもブリの方が廉かったため、ブリの照り焼きか素焼きにしよう、と、変替えした。で、家に帰って、玉葱と人参が余っているのに気付いて、南蛮漬けにできないか、考えてみた。ブリの南蛮漬けは、聞いたことがない。念のため、いつも利用している、某料理レシピサイトを開いてみると、なんとこれが、あったのである。「ひょっとしたら」と、思うことも、人生には大事なようである。
箸休めの南蛮漬けの素と、食材が重なってしまったが、それはそれでかまわない。一汁三菜が理想であり、それを目指してはいるが、なにも厳格厳正に厳守しよう、とまでは思っていない。思っていても、できやしない。できるかもしれないが、シンドイ思いをしてまで、やる気はない。
やるべきことはなにか、なにをやるべきか、やらなくてもいいことはなにか、やってはいけないことはなにか、それほど力をいれなくてもいいものはなにか、なになら手を抜いてもいいか、その見究め、その判断も大事なのである。
とにかく、生野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト)、南蛮漬けの素(玉葱、人参)、小松菜のわさび和え(小松菜)、べったら漬け(大根)、と、8種類の野菜は摂取できている。もう1種類あれば云うことはないのだが、まあ、7種類は超えた、と、云うことで、良しとしよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:15 | - | - |
小満の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛高菜昆布)、カラスガレイの煮付け、小松菜のわさび和え


昨晩食べているときに気づいたのは、カラスガレイを煮付けるときに、生姜を入れればよかった、と、云うことである。
別に臭みがある、と、云うわけではない。味がいまひとつ物足りない感じがしたのである。小なりと雖も侮るべからず、隠し味、とは、いみじくも云ったものである。
それにしても、思ったより切身が小さい。買うときと、食卓に上がったときと、弁当箱に入れたときでは、それぞれに、思ったよりも大小が違っていて、戸惑うことがある。たいていは、買うときには小さく思えるのだが、カラスガレイはそうではなかった。これなら2切入れてもよかったようである。まぁしかし、モノは考えようで、その分、小松菜のわさび和えがタップリ入れられたのだから、それはそれで良しとしよう。
ピリ辛高菜昆布は、駅前の複合施設内にある食料品店で買ってきたものである。“ピリ辛”と銘打っているわりには、いっこうにピリ辛くない。それはそれで、かまわない。たびたび記しているように、辛味──特に唐辛子系の辛味は、あまり歓迎できない身体なのである。と、云いながら、このあいだ気づいたのだが、外食でラーメンを食するときに、無料でピリ辛高菜を提供してくれる店がある。そんな店に入ると、からなず、そのピリ辛高菜をお願いする。これは看板に偽りなし、で、たしかにピリ辛い。それをラーメンや炒飯とともに食する。備え付けの小皿を大盛にして。
いったいどこが、辛味──特に唐辛子系の辛味は避けている、なのだろう?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:12 | - | - |
小満の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、生野菜サラダ、カマンベール・チーズ


今日は“小満”である。
“小満”とはなにか、と、云うと、Wikipediaによれば、“万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ”のことで、“『暦便覧』には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されている”そうである。
この時季は、“麦畑が緑黄色に色付き始める”そうである。
また、“沖縄では、次の節気と合わせた小満芒種(すーまんぼーすー)という語が梅雨の意味で使われる”らしい。
最近、麦畑なる存在も、目にすることがなくなった。水田すら、両校で田舎地方にでも行かない限り、目にすることはない。それどころか、天然自然の砂場空地すら、滅多にお目にかからない。いたるところ、コンクリートアスファルト高層建築駐車場、で、ある。日本の情緒も風情も、ありゃしない。せめて、こう云った古来からの節気や行事などだけでも、折に触れて想い起し、伝承していきたいものである。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
日本の情緒も風情もまったく感じられない、いたって殺風景な、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:10 | - | - |
森林(もり)の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(長ねぎ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、カラスガレイの煮付け、小松菜のわさび和え、南蛮漬けの素、熟成キムチ、冷奴、納豆、味付海苔


カラスガレイの煮付けなるものもはじめて料理った。はじめて、と、云っても、食材としてカラスガレイを使用したのがはじめてなのであって、味付自体は他の魚肉の煮付けとさして変わらないのだから、困難はなかった。問題は、いままで体験したどの魚肉よりも、カラスガレイの場合は、身がほぐれやすいのである。それは我が師である母者の料理りようを見ていて解かっていた。今回ははじめてにしては、上手くいった方だと思う。懸念していたような身の崩れはなかった。
ただ、煮付けのタレが濃すぎた。煮つめすぎたのかも知れない。食べる前に、当然のように温め直したのだが、それで余計に濃くなったのかも知れない。温め直さずに、そのまま食べてもよかったかも知れない。
昼食の弁当に入れた鮭のバタポン焼き(マーポン焼き?)も、上手くいった。ゆずポンを使ったためか、ゆずの香りが強かったが、それはそれでまたよろし。
南蛮漬けの素は、ブリの南蛮漬けのあまりものである。見てのとおり、ピーマンが入っていない。もともと、玉葱と人参が余っていたので、なんとか消費できないか、と、考えて、南蛮漬けにしよう、と、思い付いたのである。最初はたんなる酢漬けを料理ろう、と、思っていたのを、玉葱と人参の消費のために、南蛮漬けに変更した。そんなわけで、わざわざピーマンを加える必要もあるまい、と、思って、買って来なかったのである。
必要のない出費は極力抑える。それが家計運営の極意である。
ちなみに、お友だちには、国有財産と云えども、8億円も値引きして売り渡して差しあげる。これが加計運営ならびに政権運営の極意である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:02 | - | - |
森林(もり)の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、鮭のバタポン焼き(2切)、小松菜のわさび和え


鮭のバタポン焼きをはじめて料理ってみた。いつも参考にしている、某料理レシピサイトに載っていたのである。
バタポンと云っても、着物を着て頬に赤い三重丸のついた男の子とは、なんの関係もない。バタ=バター、ポン=ポン酢、の、ことである。油の代わりにバターを引き、ポン酢で味を付けるのである。もっとも、わたいの場合、油の代わりのバターの代わりにマーガリンを使用したので、精確には、鮭のマーポン焼き、と、云うべきだろう。なにやら大リーグで活躍している日本人投手を想い起させるネーミングになってしまった。えっ、想い起さないって? それはあなたの想像力が貧困だからですよ(;^_^A
小松菜のわさび和えは、もはや定番、必需品ならぬ、必需献立、で、ある。料理りやすく、味わいよろしく、栄養満点の、三冠王、で、ある。
沖縄はすでに梅雨入りしたそうであるが、そろそろ梅雨の季節である。湿度高く、むわ〜っとした蒸気に不快指数が跳ね上がる季節、サッパリした献立が好ましくなってくる。小松菜のわさび和えは、そんなこれからの季節、いよいよ重宝な、おススメな献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:59 | - | - |
森林(もり)の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、生野菜サラダ


今日は“森林(もり)の日”であるらしい。
Wikipediaによると、“村名に「美」の字がつく村10村で結成した「美し村(うましさと)連邦」が制定”したもので、“5月は「森林」の中に「木」が5つ入っていることから、20日は「森林」の総画数が20画であることから”定められたらしい。“なお、美し村連邦は、参加する村のほとんどが平成の大合併で消滅することから、2003年に解散している”とのことである。
“「森林」の中に「木」が5つ入っていることから”5月、“「森林」の総画数が20画であることから”20日、と、云うのは、いつもながら、苦しいこじつけの感がないでもないが、今回はなにやら妙に、なるほど、と、膝を打った。木の数と総画数と云う、ある程度統一された原理に基づいているからだろう。
近年、豪雨災害の過酷さがその程度を増しているが、ひとつには森林の存在が希薄になっていることも、大いに関係していると思われる。
森林は、ただに雨水の濁流や土砂崩れを防止するにとどまらず、二酸化炭素を吸収して酸素を送り出し、大気を正常に循環する役目を果たしている。森林のただなかに入ると、身も心も清浄なるような気になり、心身の緊張が緩和される。いわゆる森林浴、と、呼ばれるものの効果である。
古くは生活に必要な燃料や、山の幸を恵与してくれる、なくてはならない存在であった。
その貴重な森林を、戦争や人間の欲得ずくで破壊し、蹂躙したツケが、いま自然災害と云う形で応報されているわけである。
むかし自然災害に遭遇した人間は、これを“天罰”ととらえて、その身を慎んだものだが、西洋合理の思考法が輸入されて以来、そのような考え方は非合理であるとして退けられ、いかな自然災害に遭遇しても、これを“天罰”などとは考えず、したがってその行いを反省して身を慎むこともなく、はなはだしきは自然を呪憎するほどに増長している。
この人類の増上慢は、いずれ大災害と云う形で、自然から罰せられるであろう。南海トラフ地震など、その先駆けとなるかもしれない。
美し村連邦は2003年(平成15年)に解散したそうだが、その志は、16年を閲した現在でも、けっして忘れてはならないと思う。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
森林とも、自然災害とも、まったく関係のない、いたって無風流にして、平凡なる献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:57 | - | - |


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