ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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台風襲来の日の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(油揚げ、乾燥わかめ、とろろ昆布、にら)、さんまの塩焼き、かぼちゃの煮物、茹で人参&ブロッコリ、冷奴、納豆、味付海苔


自分では量を減らしているつもりなのだが、実際上はそうでもないらしい。
朝起きづらく、食欲がないのは、晩に食べ過ぎているからだろう。目ざめるべき時間に自然に空腹になっているのが望ましいありかたであろう。
現在は朝起きても食欲がない。そんなわけで、今朝のトーストは6枚切り1枚である。ほんとなら食べなくてもいいくらい食欲がなかったのだが、朝食抜きは1日をダメにする、と、固く信じているので、極力朝食は抜かないことにしている。
昼の弁当も主食の麦飯の量を減らしたのはそのためである。その代わり、茹で野菜で補うことにした。できればかぼちゃも入れたかったのだが、かぼちゃは煮物に使ってしまったので、昼の弁当には入れられなかった。
晩はかぼちゃの煮物がある代わりに、小松菜のわさび和えがない。最初は冷凍保存してあるやつを使ってお浸しにする予定だったのだが、量が多すぎるような気がして止めにした。止めて正解だった。現在の献立だけでも充分多い。さんまは半尾でいいくらいである。
わたいが師表と仰いでいる川島四郎先生は、麦飯+お魚の罐詰+青野菜(400g!)のみの晩御飯だったと記憶している。しかも先生は、朝は砂糖と粉ミルクと粉末カルシウムを入れたコーヒー、そしておなかが空かれたときに、ナッツ類やとろろ昆布、厚めの昆布などをつまみ食いなさるだけだった。
それから考えても、やはりわたいは食べ過ぎであろう。もっとも、先生のお食事自体が、かなり特異なものであることは否めないだろうが……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:31 | - | - |
台風襲来の日の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛高菜昆布)、茹で人参&ブロッコリ、さんまの塩焼き、小松菜のわさび和え


1年ぶりに料理ったので、塩加減とか焼き加減とかに一抹の不安があったのだが、どうやら上手くいけたようである。この分なら醤油をかけなくても充分旨い。さんまに大根おろし醤油は付き物なのだが、いったいどう云う謂れや効果があるのだろう。
大根おろしは消化酵素の働きをよくし、さんまの油感を流して口中をサッパリさせてくれるような気がする。おそらくそのために、添えられているのであろう。そう云えば、天麩羅なども、大根おろし醤油で食べると旨く感じる。これはかの海原雄山のモデルとなった北大路魯山人も推奨した食べ方である。同様に、ちょっと焦げ目がつくくらいに焼いたさんまを大根おろし醤油で食べるのも、至福のひとときをもたらしてくれる。日本の秋味を感じる食べ方である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:28 | - | - |
台風襲来の日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、チェダー・チーズ


今日は“台風襲来の日”であるらしい。
Wikipediaによると“統計上、台風襲来の回数が多い日”であり、“1954年(昭和29年)に「洞爺丸台風」で青函連絡船・洞爺丸が転覆、1958年(昭和33年)に「狩野川台風」が伊豆・関東地方に来襲。1959年(昭和34年)に「伊勢湾台風」が東海地方に上陸したのは全てこの日だった”らしい。
昨年は大阪も台風21号で甚大な被害を受け、今年は佐賀や千葉でいまだ復旧の見込みの立たない被害に苦しんでいる。
一部の人びとにとっては「町がきれいになる」とか、経済成長の持続性のほうにしか関心がないようであるが、神経のつながり具合がおかしいのではないだろうか。
おなじ人間と云う種族であることに違いはないのかもしれないが、神経細胞や脳細胞の組成に微妙な違いがあるとしか思えない。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
台風の襲来とも地震カミナリ火事親爺の来襲とも、一切まったく全然関係のない、いたって穏やかな献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:25 | - | - |


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