ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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藤村操の命日の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、肉じゃが、ほうれん草のお浸し、小松菜のわさび和え


青菜類が二つ重なってしまったが、野菜はいくら摂取しても苦しゅうない。とりわけ青菜類は、我が導師川島四郎先生などは400g/日も摂取されておられたそうであるから、わたいなどは足元にも及ばない。ちなみに川島先生は、1986年(昭和61年)に、ナイロビで感染したマラリアが元で逝去なされたが、御年91歳、実にご健康なお身体で、マラリアの感染がなければ、まだまだお元気で福禄寿の目出度さを謳歌なされたであろうと思われる。
川島先生が青菜類とともにご推奨なされておられたのが、カルシウムの摂取である。先生ご自身、朝はコーヒーに砂糖や粉末ミルクとともに、粉末カルシウムをたっぷり入れて、召し上がっておられたそうである。昨日記したように、日本人はカルシウム不足になることを宿命づけられていることを意識しておられてのことである。
わたいもコーヒーには乳酸カルシウムを入れて飲むようにしているが、これが川島先生の顰に倣った猿真似であることは云う迄もない。
自殺や心中の真似はよろしくないが、こう云ったことは大いに真似してしかるべきであろうと信じている。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:04 | - | - |
藤村操の命日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


1903年(明治36年)の今日、一人の若者が自らその命を断った。
享年16歳。当時一高の学生だった、藤村操である。
彼は前日の5月21日に制服制帽のまま失踪し、この日は栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)の旅館に宿泊した。そして翌22日、華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して投身自殺したのである。
Wikipediaによると、牘淦ご僂砲茲襯┘蝓璽罰慇犬了爐蓮嵶身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者は185名に上った(内既遂が40名)。操の死によって華厳滝は自殺の名所として知られるようになった瓩蕕靴ぁいつの世でもマネしたがりと云うものはいるもので、江戸期にも近松門左衛門の狄潅罎發劉瓩評判になると、心中する男女が増え、当局によって心中ものの上演が禁じられたそうであるから、作者や演者、そして淳良な聴観衆にとっては、迷惑な話である。
なお、操氏が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通りである(Wikipedia/「藤村操」より)。

巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可
解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至
る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

ちなみにこの直前、一高生の藤村氏は与えられた宿題を果たしてこなかったことを教師に問いただされ、その理由を「やりたくなかったから」と答え、きつく叱責されて教室を出て行ったと云う。
このときの教師が、夏目金之助───のちの夏目漱石である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:03 | - | - |


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