ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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百人一首の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、ピーマンの肉詰め(2個)、ほうれん草のお浸し、かぼちゃの煮物、木綿奴、納豆、味付海苔


木綿豆腐はタンパク質やカルシウムの補給によろしく、絹ごし豆腐はビタミンB群やカリウムが豊富である。体調や健康上の目標に沿って摂取するがよろしかろう。
わたいも交互に摂取しようと思っていたが、木綿豆腐を続けることにした。あまり深い理由はない。買物時に木綿豆腐のほうが食べたかったのである。食べたいと思うと云うことは、身体がそれを欲していると云うことである、と、思っているし、基本、それでいいはずである。ただし、酒やコーヒー、甘味物など、常習性、中毒性(正しくは、依存性)のあるものは、この限りでないことはもちろんである。
以前もチラッと思ったのだが、食材そのものは、基本、健康に悪いものはないはずである。健康に悪いものは、そもそも食材にならない。
健康に害を与えるのは、調味料のほうである。
調味料とは、食材自身の味、いわゆる素材の味を引き立てるのが本来であるはずなのに、いつの間にか、調味料自身の味を味わうように錯覚してしまいがちである。いわゆる倏擦ぬI佞鵜瓩髪召Δ笋弔任△襦西洋菓子や西洋料理、四川料理や南米料理などがその例である。
現地の人たちにとっては、文化と伝統に根差した料理なのだろうが、異邦の文化、異国の伝統が連綿としている人々にはなじむまい。わたいにしてみれば、犒秧鼻○瓩覆匹髪召Δ里鮃イ爐里蓮¬3价羶と脳細胞が破壊されている証左としか思えない。麻薬中毒と同じで、味わいではなく、刺激の強度を求めているのである。そう云えば、古代ローマ帝国のネロ皇帝も、香辛料の効いた料理が好みだったと聞いたことがある。現代中国建国の祖である毛沢東も、激辛の四川料理が好物だったらしい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:07 | - | - |
百人一首の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(たくあん漬け)、ピーマンの肉詰め、小松菜のわさび和え、かぼちゃの煮物


ピーマンの肉詰めが1個だけだが、大きめなので、それでも十分事足る。ピーマンの肉詰めも、失敗が少なくなった。結構なことである。先日も記したが、どうもピーマンの内側に小麦粉をまぶすのを忘れがちである。そのため、焼いている最中に、肉だねがはがれてしまうのかな、と、思っていたが、今回うまくいったところを見ると、小麦粉のこともあろうが、やはり焼き加減、火加減の問題なのかもしれない。
ピーマンの側を焼くときは、火力を弱めにして、じっくりと焼いてみたのである。それが功を奏したのかもしれない。
それにしても毎度のことだが、小麦粉とメリケン粉と薄力粉の区別に混乱する。通常わたいの周囲で使用するときは、同じものなのだが、手順を確認したり、師匠(すなわち我が母者)に教えを乞うたりするときには、やはり混乱する。
───物の名は 所によりて変はりけり 難波の葦は 伊勢の濱荻
とは知っていても、いざとなるとややこしい。
厳密に云えば、薄力粉とは小麦粉の一種であって、小麦粉のことを昔はメリケン粉と云っていたのである。
たしかこのことは以前にも記したところであるが、それでもまだ身に沁みて理解はしていない。
どんな分野の知識でも、それが単なる知識にしかすぎないうちは、学問したことにはならない。智心一体となってはじめて、これを活用し得るのであり、活用しえない知識は屑籠に詰まった反故紙と同じである。
哲やん曰く、「ヘーゲル曰く、『博識はいまだ学問に非ず』」なのだそうである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:05 | - | - |
百人一首の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は猊歓涌貅鵑瞭瓩覆里世修Δ任△襦
「今日は何の日〜毎日が記念日〜」と云うWebsiteによると、1235(文暦2/嘉禎元)年のこの日、藤原定家によって小倉百人一首が完成された瓩箸里海箸如↓狷8仰蟆箸痢嵬牲邉」の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられている瓩里世修Δ任△襦
昔は正月の遊びとして、この百人一首によるカルタとりが盛んにおこなわれていたそうであるが、わたいの幼少時にはすっかり廃れてしまっていた。もっとも、やっているところはやっていたのであろうが、あいにく我が家は、そのような古式ゆかしい伝統文化とは無縁の家庭だった。せいぜいやって、坊主めくりくらいである。
それが近年では、「ちはやふる」の影響で、競技歌留多が盛んになり、現在でもその影響が続いているとかいないとか。
きっかけはなんにしても、こういう古き良き日本の伝統文化の復活を聞くのは、悦ばしいことである。
散作に云わせれば、それまで打ち棄てられて顧みる者も稀だった競技歌留多と云う分野に新たな光を当て、隆盛をもたらした「ちはやふる」の功績は、司馬遼太郎氏のそれに匹敵する。
なお、遊冶郎に云わせれば、古来日本は和を貴び、雅を愛し、文を尊重してきたお国柄であり、武は外来の思想であって、日本の麗しき伝統とは相いれないのだそうである。
ましてや、明治期に欧米の肉食人種から移入された軍国思想など、日本の伝統思想からすれば、蛮族蛮人の粗卑粗野な、獣類の下劣思想に等しい、と、云う
もっとも哲やんに云わせると、そんなものは、犹彖朖瓩噺討屬肪佑靴覆い箸里海箸任△襪。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:03 | - | - |


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