ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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世界翻訳の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯(しょうゆ豆)、即席みそ汁(長ねぎ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、揚げない鶏の唐揚げ、小松菜のわさび和え、かぼちゃの煮物、木綿奴、納豆、味付海苔


昼の弁当と同じ献立になってしまった。やむを得ない。なにしろ今回は、揚げない鶏の唐揚げを料理る気満々で、2パック1kg近く買ってきたのだから、当分は揚げない鶏の唐揚げである。と、云っても、全体で7食分しか(?)できなかったのだから、思ったほどではない。1kgと云えば、わたいの食欲全盛期には、一時に食べた分量である。それが7食に分割されるようになったのだから、往年に較べれば、たしかに食欲は減退している(?)
小松菜のわさび和えは、もはや通年献立である。しかしこれからじょじょに、菠薐草が出回ってくるだろうから、少しは目先も変わるかもしれない(?) 願わくば、夏野菜のように、例年にない高騰、などと云うことのないように! 人間、肉は食わなてもなんともないが、野菜、とりわけ青い野菜を食わなくては、身体に変調をきたす。青野菜は栄養の宝庫、健康の源、なのである。
野菜の酢漬けがない分、野菜の摂取種類が激減してしまった。おまけに、ビタミンDの補給源たるきのこ類もない。由々しき事態である。しかし、わたいの満足するような栄養分を洩れなく摂取しようとすると、満漢全席になってしまう。ここは1ヶ月くらいの、長い目で見なければなるまい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:47 | - | - |
世界翻訳の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(しょうゆ豆)、揚げない鶏の唐揚げ、小松菜のわさび和え、かぼちゃの煮物


久しぶりに揚げない鶏の唐揚げを料理ってみたが、幸か不幸か、しっかり揚げてしまったようである。なので精確に命名すれば、揚げてしまった揚げない鶏の唐揚げ、と、云う、ややこしい名まえになってしまう。
しかも、ごらんのとおり、揚げすぎてしまって、すっかり黒焦げになり、肉は硬くなってしまった。だから、より精確には、揚げすぎてしまった揚げない鶏の唐揚げ、と、云うことになる。ああ、ややこしい……一時期流行ったキラキラネームとやらのほうが、よっぽどマシである。いや、キラキラネームはその人の一生に付いてまわり、下手をすると、人格形成にまで影響を及ぼしてしまいかねない。それを考えると、献立の名称が少々ややこしいくらいは、なんでもないだろう。まさか、先日料理った献立の名称がややこしくなったので、今日内閣が総辞職した、などと云うことは、間違ってもあるわけがない。
かぼちゃが季節である。今年も、おそらく年末まで、かぼちゃ三昧となることであろう。ホクホクとした甘味に魅力があり、しかも栄養豊富なのだからたまらない。だしはじゃこと昆布でとる。それに顆粒のあごだしを入れる。味付けは酒、みりん、薄口醤油である。以前はみりんの代わりに砂糖を使用していた。しかし聡うよりもみりんのほうが煮崩れしにくく、そのうえ精白糖は身体に――とりわけ脳に――よろしくない、と、耳にして、みりんにしたのである。身体――とくに脳――への影響は現在のところ見られないが、たしかに、煮崩れはしにくくなったようである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:04 | - | - |
世界翻訳の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は狎こλ殘の日瓩覆里世修Δ任△襦
Wikipediaによると犢餾殍殘家連盟が制定瓩靴燭發里如↓爛リスト教の聖職者で、聖書をラテン語訳したことで知られるヒエロニムスが亡くなった日瓩覆里世修Δ任△襦
さすが西洋文化は、聖書が中心にあるようである。
散作によると、日本ほど翻訳書に恵まれた国はないそうである。米ソ対立の時代には、マルクスやレーニンの著書はおろか、いわゆるロシア文学が市井の書店に並ぶことなど、ついぞなかったそうである。もっぱらその筋の専門家――大学の研究者や教授など――しか、入手することができなかったのだとか。
それを考えると、日本はなるほど、たいしたものである。古今東西の名著が自国語で読める――なんと有り難いことであるか。にもかかわらず、その素晴らしさを活かしきれてない人間の多いことを、つねづね嘆いている。
母国では顧みられなくなった作家の作品が日本では数多く出版され、しかも、いわゆる市の本屋で手に入るので、当の国の人間が驚いた、と云う逸話もあるそうである。
これだけの文化における土壌がゆたかであるにもかかわらず、国民の文化程度が低劣なのは、いったいどう云うわけであろうか。
三十年以上も以前の話だが、西武グループの総帥として有名な堤義明氏が、最近の若い者はオブローモフ主義も読んでいない、と、慨嘆しておられたが、さもありなん、で、ある。
せっかく恵まれた環境になりながら、それを充分に活用しきれていない。これを称して、宝の持ち腐れ、と、云う。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:03 | - | - |


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