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少子高齢化社会
 「少子高齢化」が云々されるようになって、ずいぶん経つように思います。
 2012(平成24)年9月17日、いわゆる敬老の日、65歳以上の方の全人口に占める割合が、24%になったと、毎日新聞朝刊が報じておりました。
 4年前、当時の野田政府が民主党の公約を破棄して消費税の増税を成立させましたが、その際の口実として使われたのが、「税と社会保障の一体化」と云うものでありまして、将来の少子高齢化を見据えて、持続的な社会保障のためには、恒久的な財源の確保、すなわち消費税の増税が必要不可欠である、と、云うものです。
 消費税と云うと悪税のような印象をもたれがちですが、そこにはそれで、利点もあります。
 その第一は、税逃れ、いわゆる脱税がしにくい、というところにあります。
 いわゆる「クロヨン」、「トーゴーサン」などと呼ばれる不公正が是正される、と云うものです。
 消費税をよしとする政治家諸氏がよく口にする「不公平税制の是正」と云う言葉の意味は、おそらくこのことを指しているのだろうと思われます。
 また、国家がその運営経費として国民から金銭を徴収する方式には、税の他に、国民健康保険と、国民年金があります。しかしこの両者も、直接税と同じく、非常にその徴収がむつかしいのです。とりわけ国民年金の徴収額が大幅に減少して由々しき問題になっていることは、昨今の報道などでみなさん、よく御存知のことと思います。
 これを消費税に切り替えれば、徴収が円滑に進行する、と、云うのです。
 そのためにはもちろん、国民年金や国民健康保険の徴収額を減少させなければなりません。
 消費税の欠点につきましては、これも多く指摘されておりますので、ここでは詳述しませんが、その最大のものは、課税率が累進的でなく、低所得者層に負担が大きいことでしょう。
 3万円の物品を買うのに、月収40万円の人も、月収20万円の人も、同額の消費税を納めなければならないことになるのです。税率8%ならば、2,400円、税率10%ならば、3,000円です。
 なるほど、これは不公平ですね。
 「所得の多い人は高価な物を多く買うから、それだけ多く税を納めることになる。所得の低い人は高価な物をそんなに買わないし、買う量も少ないから、納税額も少ない。公平じゃないか」
 と、いう人がいるかも知れません。
 むかし、似たようなことを云って、物議を醸した政治家がいましたね。
「所得の多い人は米を多く食う、所得の少ない人は麦を多く食う、そういう経済本然の姿にもっていきたい」
 有名な“麦飯発言”です。いささかデフォルメされて、「貧乏人は麦を食え」として、人口に膾炙していますが。 
 所得の多い人が生活を切り詰めるのは簡単です。しかし、所得の少ない人が生活を切り詰めるのは、容易ではありません。
 どちらも人間です。人間である以上、最低限の衣食住、とりわけ食は確保されなければなりません。
 人間が生きて行くために必要な最低限の物資は、だれでもたいてい同じでして、月収40万円の人が最低限生きて行くために、月収20万円の人が生きて行くために必要な最低限の物資の2倍が必要である、と、云うことにはなりません。
 月収40万円の人が、月収40万円で維持している現在の生活を今後も維持するために、月収20万円の人の2倍の収入が必要であるだけです。
 さて、そう考えると、収入が増えなければ、物価の騰貴や消費税の増税で、より困るのが、低所得者であることは明らかです。
 以上から判明することは、消費税の増税自体、悪いことではないにしましても、それには最低限、以下のような条件が必要だろうと思われることです。
 まず第一に、人々の収入が増大していることです。収入──より正確に云えば、可処分所得──が従来の20%に上昇していれば、消費税が5%増大したところで、さして痛痒は感じないでしょう。
 第二は、消費税を増税するならば、国民年金や国民健康保険の徴収額を減額することです。
 第三に、これは第一のこととも関連しますが、商業産業が盛んになっていることです。
 ここで云う商業とは商品の流通、産業とは商品の製造を指します。その基礎となっているさまざまな取引にも、消費税は課せられています。商業産業が盛んになれば、それに課される消費税の納税額も増え、少々増税したところで、さほどの影響はでないでしょう。
 商業産業の盛衰を見据え、どの程度消費税を課税すればよいか、その加減を按配するのが、経済政治家の役割です。それを実務として執り行うのが、経済官僚の役割です。なんでもかんでも官僚まかせ、官僚いいなりでは、政治家の出る幕はありません。そんな無能な政治家にメシを食わせていられるだけの余裕は、いまの日本にはないはずです。

少子化が進み、現在5人で1人のお年寄を支えているのが、将来は2人で1人のお年寄を支えざるを得ない、と、云うことになっているようです。
 だから、消費税を増税しなくてはならない、と、云うのですが、別に消費税でなくても、法人税でも所得税でも、かまわないではありませんか。なんなら昔のように、物品税を復活させたら、どうでしょう? 消費税がなく、物品税が課税されていた頃は、日本経済は右肩上がりで、繁栄していたのですからね。
 さて、先ほど申しました現在がいつで、将来がいつで、5人で1人の、2人で1人の、と云う数値が、はたして正しいのかどうか、それはさておきまして、傾向としては間違っていないということで、話を進めていきます。
 この「5人で1人、2人で1人」と云う言葉を数式に直しますと、「5人で1人」は「1/5」、「2人で1人」は「1/2」となります。
 そうなりますと、この分子と分母は、いったい、どのようにして、はじきだされたのでしょうか?
 分子はおそらく、年金生活者でしょう。
 では、分母は?
 労働者人口でしょうか? それとも、労働可能人口でしょうか?
 労働者人口と労働可能人口では、エライ違いがあります。労働者人口は、現に就労している人です。労働可能人口は、就労の可能性のある人、です。
 労働可能人口には、現在職を失っている人、いわゆる専業主婦の人、ニートと呼ばれる人、……、そう云ったさまざまな人が算入されるでしょう。
 もしそういった人たちのなかから、特定の人を除くとすれば、どういった規準で、それらの人を除くのでしょうか?
 また、「現に就労している人」の数は、わりあい正確に算出できるかもしれませんが、将来「現に就労している人」の数を正確に算出することは、これはどう考えても、不可能ですね。
 二つの数式を比較するのに、その数値の拠ってきたる基準が別々と云うのでは、これはとうてい、比較にならないでしょう。
 まして、その数値をはじきだす基準があいまいでは、これはもう、なにをかいわんや、です。
 それにもうひとつ、分母を形成する数値には、分子を支えるべき納税額が反映されていません。
 同じ5人でも、40万円を納税するのと、20万円を納税するのとでは、やはり違いがあるでしょう。
 仮に、高齢者1人の生活費が20万円としますと、5人で20万円を納税し、その税金がすべて高齢者の生活費に当てられるとしますと、これはトントンですが、5人で40万円を納税し、その税金がすべて高齢者の生活費に当てられるとしますと、これはもう、余裕があるわけです。
 これをもって考えますに、単純に人口の頭割りで高齢者を支える数式を考えるのではなく、その納税額をもって、これを考えるべきであることが、お分かりになろうかと思います。
 まぁ、いろいろ生意気なことを述べましたが、おそらくそのようなことはすべてふまえたうえで、この数値は出ているのでしょうね。
 
 「少子高齢化」と云う言葉で問題にされているのは、いわゆる「年金生活者」の数に比して、労働可能人口が少なくなっていることでしょう。
 しかしそれが、ことほどさように大騒ぎする問題とも思えません。
 日本経済は、米国のいわゆる「リーマン・ショック」以来、より長期の視点から見れば、いわゆる「バブル」の崩壊以来、長い不景気のなかにあります。幾度か好況に転じたようですが、それでも個人の実感としては、ずっと不況が続いているように思われます。
 失業や就職難に悩む人の数はいっこうに減少せず、学業を終えた人たちの就職率も、決して芳ばしくないようです。
 職のある人も苛酷な労働環境──長時間労働、きびしいノルマ、それに比しての低賃金、等々──と、リストラの恐怖にさらされているようです。
 企業経営者は、生産性をあげ、より多くの利潤を獲得するために、設備投資に力を注ぎます。ここで云う設備とは、機械設備のことでして、残念ながら、人のことではありません。
 むしろ、設備としての人、労働力としての人は、極力これを減らそうとします。人の数が減らせなければ、人に要する費用を減らそうとします。いわゆる、人件費の削減、と云うやつです。
 この傾向の必然性は、カール・マルクス氏が『資本論』で詳述していますので、興味のあるかたはぜひご一読ください。
 しかしそれを理論としては把握できなくても、実際の現象としては、みなさん、なるほどそのとおり、と、うなずかれるでしょう。
 こうして多くの失業者や未就職者──マルクス氏の言に拠れば、「相対的過剰人口」あるいは「産業予備軍」──が形成されます。
 「形成されます」と、述べましたが、これらの人々は、まさに、「形成される」のです。
 また、マルクス氏が述べておられますように、これらの人々は「相対的」過剰人口でして、「絶対的」過剰人口ではありません。
 これらの人々は、自然的にではなく、人工的に、作り出されるのです。
 なんのために? 企業経営者らが、より多くの利潤を獲得するために、です。
 企業経営者らは、不況になればこれら人々を多く作り出し、好況になれば、これらの人々を雇用します。
 企業経営者にしてみれば、この「相対的過剰人口」あるいは「産業予備軍」は、多ければ多いほど、ありがたいものです。
 不況期には、その人たちとは関係がありません。
 好況期にその人たちを雇うことになると、その人たちの人数が多いほうが、企業経営者にとっては有利です。
 早い話が、20人を雇うとして、50人のなかから雇うのと、150人のなかから雇うのとでは、どちらが雇う側にとっては有利でしょうか?
 いわゆる、「競争原理」と云うやつですね。
 競争者が多ければ多いだけ、売ろうとするモノの値段は下がります。
 より安く売ろとする人間が多くなります。
 この場合の「売ろうとするモノ」とは、「みずからの労働力」でして、その対価は「賃金」つまり「給料」です。
 「相対的過剰人口」あるいは「産業予備軍」が多ければ多いほど、企業経営者がその人たちを雇用せんとする際に支払う「賃金」すなわち「給料」は、低くすることができるのです。
 そして先述しましたように、自分が雇用している人に支払う賃金をできるだけ低くすることが、企業経営者にとっては、たいへん重要なことなのです。
 だからこそ、企業経営者たちは、「相対的過剰人口」あるいは「産業予備軍」の多いことを望みますし、またそうしようとします。
 しかし、どんなに企業経営者たちが頑張っても、この「相対的過剰人口」あるいは「産業予備軍」を形成するには、限界があります。
 その限界を画するのが、自然人口です。
 生まれて来る人たちが減少し、労働可能人口自体が減少すれば、いくら人為的に労働者人口を減少させたところで、おっつかなくなるでしょう。
 現在の労働可能人口が七千万人で、労働者人口が四千万人とします。
 残る三千万人が、「相対的過剰人口」あるいは「産業予備軍」となります。
 これが将来、人口の自然減、いわゆる「少子化」になって、労働可能人口が四千万人になれば、「相対的過剰人口」あるいは「産業予備軍」はゼロとなり、完全雇用が実現します。
 そうなると、双方の力関係にも変化が生じます。企業経営者に対して、労働者の力が大きくなります。
 これがもし、労働可能人口が三千万人にも落ち込みますと、双方の力関係だけでなく、その意識形態にまで、激大な変化が生じるでしょう。
 「雇ってやってるんだ」、「働かせてやってるんだ」という、企業経営者側の尊大で不遜な意識、「雇ってもらってる」、「働かせてもらってる」という、労働者側の卑屈で奴隷的な意識が、「働いてもらってる」、「働いてやってる」という意識に、互いの意識が変革されるでしょう。
 それを怖れるからこそ、企業経営者たちは、あらゆるマスコミやインテリゲンチャたちを動員して、「少子高齢化」の危機を訴えているのだと、思われます。
| Mac | 気まぐれなコラム | 22:36 | - | - |


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