ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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第1回箱根駅伝開催の日のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


1920年の今日、第1回の箱根駅伝が開催された。
1920年、と、云えば、大正9年のことである。
箱根駅伝と通称されているこの大会は、正式には狹豕箱根間往復大学駅伝競走瓩髪召ぁ現在では正月2日と3日に行われている。TV中継もされているので、正月番組のひとつとしている人も多いことだろう。
それがどうやら第1回は、2月の14日と15日に行われていたようである。
そもそも箱根駅伝が開催されるようになったのは、狎こΔ亮目を集め、日本の長距離選手を育成するような外地での長距離走はできないものかと考えた甼盞、野口、沢田の三氏が、「アメリカ大陸横断駅伝」と云う結論を導き出し、爐修痢嵳汁会」という位置づけで国内での駅伝大会の実施が企図された畄覯漫↓爛▲瓮螢大陸横断コースで最も大きな障壁となるであろうロッキー山脈の走破を見据え、この「予選会」のコースとして選ばれたのが山越えをコースに含む東京-箱根間であった瓩函云うことである。(Wikipedia/「東京箱根間往復大学駅伝競走』より)
ひょっとすると、このへんの経緯は、全話平均視聴率が爐修譴泙悩把磴世辰拭慂神鏡后戮函慍崘海罅戞2015年)の12.0%を3.8ポイント下回る8.2%で、大河ドラマ史上最低にして初の1桁となった畉鯒の某国放送協会の大河ドラマ、『いだてん〜東京オリムピック噺〜』にも描かれていたかもしれない。
それはともかく、この箱根駅伝であるが、現在のように、正月の2日と3日にわたって行われるようになったのは、第32回(1956年)からであるらしい。(同サイト/同項目より)
寒い中、夢と伝統と歴史と期待を背負い、懸命に走っている若者たちの姿を、ぬくぬくと炬燵に入って、みかんやお餅やお節やお屠蘇やを口にしながら、牘援瓩半里靴督めている構図は、如何にも日本らしい、平和でほのぼのとした光景である。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
駅伝とも駅弁とも、東京とも箱根とも、まったく一切わずかなつながりもない、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:40 | - | - |


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