ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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石橋山の戦いの日のひとりめし(朝)
ロールパン(2個)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日はいわゆる狎亢胸海寮錣き瓩行われた日である。
1180年(治承4年8月23日)の今日、以仁王の発した平氏追討の令旨を奉じて挙兵した源頼朝は、大庭景親らの平氏方に敗れ、山中に逃れて安房国に落ち延びた。
源頼朝と云えば、鎌倉幕府の開祖、後に続く武家政権の創始者、として名高いが、将領としての力量はさほどでもなかったようである。平家を壇ノ浦に殲滅し、彼をして後に征夷大将軍の節刀を賜らしめ、名実ともに武家の長となさしめたのは、ひとえに異母弟の源九郎義経の功績である……と、云うことになっている。
とまれ、この石橋山の戦いに敗れた頼朝は、敵方の追撃を受けて近習数騎とともに山中を彷徨い、敵の目を逃れんと、洞穴に身を隠した。そのとき敵方のひとりに発見されるが、かねて平家の横暴を腹に据えかね、ひそかに源氏の隆盛を期待していたその男は、爐海瞭況蠅砲呂世譴發らん。梟がおるだけじゃ瓩般Jを謀り、頼朝の一命を援けた、この男こそ梶原景時であり、彼はその後頼朝に用いられて重きを成した……と、云うのは、あまりにも有名な話である。
もしこのとき洞穴を覗いたのが、梶原景時でなかったら……あるいは平家方の軍兵が、念のため、と、洞穴のなかを確かめていたら……後の鎌倉幕府は成立せず、1867年(慶応3年)の大政奉還まで続く武家政権は存在しなかっただろう……と、空想に思いを馳せると、いやいや、Macならずとも、ワクワクする、歴史の偶然ではあるまいか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:15 | - | - |


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