2014.07.21 Monday
こんな話を聞いたことがある……
こんな話を聞いたことがある……。
ある蒸し暑い日のことだった。 彼女は疲れ切っていた。 片づけても片づけても出てくる日々の仕事、書類のミスや取引先とのこじれ、毎日の家事や育児、休みの日にしかできない、やらなければならない用事、加えて、熱帯地方のような暑さ……。 彼女は娘を保育園に迎えに行き、買物をして、家に帰った。 いわゆる、シングル・マザーである。 両親は遠い田舎である。弟がひとり、両親と同居している。 彼女は、なにもかも、自分でひとりでやらなければならない。 帰りしな、娘に、訊いた。 「晩ごはん、なにがいい?」 「コロッケ!」 娘は、この蒸し暑さにもかかわらず、元気に答えた。コロッケは娘の大好物だった。 たったひとりの、かわいい娘だった。なにが愉しいのか、いつもニコニコと笑みこぼれていた。 そんな娘が、彼女の支えだった。 家に着くと、彼女は倒れそうになる心と体を支えながら、娘の好物であるコロッケを揚げた。 ところが……、 晩御飯の支度ができて、いざ食卓についてみると、娘は突然、 「食べたくない」 と、云いだした。 彼女のなかで、なにかが弾けた。一瞬、自分がどこにいて、なにをしているのか、分からなくなった。 「食べたくないんなら、なんで食べたいなんて云ったの」 「だれのために作ったと思ってるの」 「一生懸命作ったのに、何で食べたくないの」 そんな自分の怒鳴り声が、どこか遠くのほうから、聞こえてきた。 ふっ、と、我に帰ったときには、目の前で、娘が烈しく泣いていた。 その爆発するような泣声が、彼女を引き連れ戻したのだった。 彼女はようやくのこと、ほんのわずかばかりの冷静さを――少なくとも、現在自分がどこにいて、なにをしているのか、なにをしていたのか、なにを云ったのか、を、理解できるくらいの冷静さを取り戻した。 そうして、呼吸を整えようと努めながら、 「なんで食べたくないの」 と、ふたたび云った。 抑えたつもりではあったが、それでもその声には、云いようのない怒りが漲っていた。 胸の内が上下して、自分自身にも分かるくらい、息づかいが荒立っていた。 娘は泣きじゃくりながら、それでも、とぎれとぎれに、云った。 「だって……、だって……、ママが……、ママが……、せっかく……、いっしょうけんめい……、つくって……、くれたのに……、食べ……、食べっちゃったら……、なくなっちゃうもん」 子どもはときどき、大人には及びもつかないことを考える。 |