「先生もお忙しいお身体だ。みながめいめい勝手に訪問したのでは、ご迷惑になる。
どうだろう、これからは曜日を定めて、決まった曜日の決まった時間に、みなで伺うことにしては」
三重吉の提案にみなが同意し、以後かれらは、毎週木曜日の午後三時以降に、漱石宅を訪れることにした。
世に云う「木曜会」の始まりである。
この木曜会のメンバーのひとりに、寺田寅彦がいた。
日本を代表する物理学者のひとりで、漱石が第五高等学校の英語教師だったときの教え子、漱石との交流はもっとも古く、かつ深い人物である。
『吾輩は猫である』の水島寒月や、『三四郎』の野々宮宗八のモデルであることは有名である。
彼はまた、すぐれた随筆の書き手としても有名である。
彼の手になる随筆のなかに、こんな話がある。
とある秋の日、男が妻と幼い子どもと、行楽に出かける。
男はイライラしている。その原因は、彼にも分からない。妻の支度に時間がかかっているものだから、男は余計にイライラする。
途中、妻はそれとなく気を使い、夫のイライラをなだめようとするが、うまくいかず、悲しげな表情になったりする。
公園に着くと、幼い子どもは、
「おおきいどんぐり、ちっちゃいどんぐり、みいんなかしこいどんぐりちゃん」
と、愉しそうに口遊んで、どんぐりを拾っている。
妻も子供のでたらめな歌に合わせながら、愉しげに一緒にどんぐりを拾っている。
その姿を見て、男のこころが、一瞬、ふっと、あたたかくなる。
その情景を描写した後で、
「どんぐりを拾って喜んだ妻も、もういない」
と、いきなり書いている。
「黒澤君、映画ってのは、これだぜ」
と、若き日の黒澤明監督に教えられたのが、黒澤監督が師と仰いでおられた山本嘉次郎監督である。
黒澤監督は師の教えを、『生きる』に昇華なされた。
黒澤監督はおっしゃる。
「創造とは記憶である」
と。
そして、また、おっしゃっておられる。
「本を読まなくちゃだめだよ。もっと本を読まなくちゃ」
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