『悪魔の手毬唄』を読み終えました。
言わずと知れた、横溝正史さんの代表作の一つです。
いったいに横溝さんの作品と云えば、「古い因習と桎梏に縛られ、文明社会から隔離された一種の密室ともいうべき村落」を舞台とし、その村における「二大勢力家」を中心にして、「血で血を洗う惨劇」が繰り広げらる、「オドロオドロしき怪奇趣味」に充ち満ちた物語、と、云うのが、たいていの人が抱く印象でしょう。
しかしその見方は、残念ながら、皮相な見方、と、云わざるを得ません。
横溝さんの諸作、少なくとも、その代表作と見做されている諸作品の根底に流れているのは、人間に対する限りないやさしさ、とりわけ、殺人と云う罪を犯さざるを得なかった犯人に対する、そして、咎なくして殺されざるを得なかった被害者に対する、やさしいまなざしです。
金田一耕助氏は、明智小五郎と並ぶ、日本の名探偵の一人ですが、明智氏の人気が、そのスマートでダンディなところに由縁するであろうに反して、金田一氏の魅力は、そのやさしさにあると思われます。
金田一氏は、ハッキリ申しまして、名探偵などではありません。
氏は依頼された職責を果たせません。
なるほど、氏は最後に、犯人の意図を暴き、事件の全容を明らかにします。
しかし、そのときにはすでに手遅れで、犯人の意図は完遂されてしまっています。
実際問題からしましたら、氏は「名探偵」どころではなく、むしろ、「迷探偵」です。
にもかかわらず、氏が名探偵と称されるのは、最後に事件の全容を明かにすることによるとともに、その限りなくやさしい人柄の故にあることと思われます。
金田一氏は、ひとつの事件を解決すると、そのあまりのやるせなさに、漂泊の旅に出ることがしばしばであった、と、云うことを、なにかの作品中に書かれています。
氏は依頼された事件を未然に防ぐことはできません。そう云う意味では、探偵として落第ですが、氏の、人を思いやるこころ、心ならずも殺人と云う大罪を犯さざるを得なかった犯人の心情を、そして、無残に殺されざるを得なかった被害者に対する哀惜の念、それを、我が身に起こったことのように感じる感性、それこそが、金田一氏の魅力であり、横溝正史さんの作品の魅力である、と、思います。
それが如実に現れているのが、この『悪魔の手毬唄』です。
それこそが、この作品をして、横溝氏の代表作たらしめている由縁であり、ぜひ、ご一読を乞うゆえんであります。
金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄
横溝 正史