ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

Blog(日記)と云うよりはEssay(随筆)
Essay(随筆)と云うよりはSketch(走り書き)
Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
  << April 2015 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
復活のひとり昼食-弁当(4/28)
麦飯(たらこふりかけ)牛肉コロッケ(2個)、クリームコロッケ(2個)、ブリッコリの塩昆布あえ


コロッケ2種は、云うまでもなく、スーパーで買ってきた惣菜である。
ゴールデン・ウィークが近くなると、どうしても手抜きになる。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:08 | - | - |
復活のひとり朝食(4/28)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ブルーベリー・ヨーグルト、トマト・ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ


スープがないのは、忘れたわけではない。暑かったので、ご遠慮申し上げたのである。これから暑くなってくると、スープの出番はなくなる。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:02 | - | - |
復活のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、サバの塩焼き(2切れ)、野菜の煮つけ、ピリ辛高菜、納豆、もずく、味付海苔


一週間ほどサボっていたが、今回復活した。
さまざまな事情(と、云っても、別に大した事情ではない)により、これからもしばしば休載することとは思うが、気長にお付き合いください。
なお、主菜二つは、いずれも出来合いの惣菜である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:14 | - | - |
ロナルド・レーガン 4
レーガン氏は、離婚歴のある初の大統領である。
最初の妻はジェーン・ワイマン。彼女はレーガン氏との結婚中、『ジョニー・ベリンダ』で、一九四八年度のアカデミー主演女優賞を受賞している。
『ジャンヌ・ダーク』のイングリッド・バーグマン、『私は殺される』のバーバラ・スタンウィック、『蛇の穴』(カール・ゴッチとは無関係……たぶん)のオリビア・デ・ハビランド、と、錚々たる顔触れを抑えての受賞だった。
ちなみに、レーガン氏がアカデミー賞を受賞したことはない。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 14:01 | - | - |
『神変稲妻車』読後感
『神変稲妻車』なる本を読んでいます。
いわゆるひとつの時代小説でして、いまでこそ下火になっていますが、かつてこのジャンルの読物は、それこそ、一世を風靡したものでした。
海音寺潮五郎氏、山本周五郎氏、藤沢周平氏、五味康祐氏、等々、数多煌めく巨匠たちが、燦然たる諸傑作を、世に送りだしたものです。
さて、その時代小説の一篇、この『神変稲妻車』は、いったいだれの作なのでしょうか?
さして有名でない作家の手になる作?
いえいえどういたしまして。さる有名作家の、これぞ隠れた名品です。
その有名作家とは?
これがなんと驚く勿れ、横溝正史氏なのです。
あの推理小説作家、あの金田一耕助の生みの親、横溝正史氏の時代小説が、この『神変稲妻車』なのです。
横溝正史氏と云えば、その“金田一耕助シリーズ”を拝読していた頃から思っていたのですが、その語り口、その筋運び、いわゆるストーリー・テリングの妙には、はなはだ驚嘆すべきものがあります。
この『神変稲妻車』も、氏のストーリー・テリングの妙が冴え渡っておりまして、あたかも往年の連続活劇を見るが如し、です。
主人公が陥る危機また危機、個性あふれる多彩な人物、敵とも味方とも知れぬそれらの人物が、卍巴と入り乱れ、妖しの幻術、殺陣剣劇の立ち廻り、断崖絶壁の格闘あれば、得体知れぬ毒草の恐怖、そのハラハラドキドキ、波瀾万丈の展開は、「横溝さんは、日本のルーカス、スピルバーグか?」と、目を瞠るものがあります。
“金田一耕助シリーズ”でしか横溝正史氏を知らない方は、ぜひにもご一読ねがいたいものです。
そうすれば、氏の比類のないストーリー・テリングの妙に舌を巻き、あらためて、その才能のすばらしさに、驚嘆することでしょう。

髑髏検校(どくろけんぎょう) (時代小説文庫)
髑髏検校(どくろけんぎょう) (時代小説文庫)
横溝 正史
| 築山散作 | 気まぐれ読後感 | 09:03 | - | - |
『悪魔の手毬唄』
『悪魔の手毬唄』を読み終えました。
言わずと知れた、横溝正史さんの代表作の一つです。
いったいに横溝さんの作品と云えば、「古い因習と桎梏に縛られ、文明社会から隔離された一種の密室ともいうべき村落」を舞台とし、その村における「二大勢力家」を中心にして、「血で血を洗う惨劇」が繰り広げらる、「オドロオドロしき怪奇趣味」に充ち満ちた物語、と、云うのが、たいていの人が抱く印象でしょう。
しかしその見方は、残念ながら、皮相な見方、と、云わざるを得ません。

横溝さんの諸作、少なくとも、その代表作と見做されている諸作品の根底に流れているのは、人間に対する限りないやさしさ、とりわけ、殺人と云う罪を犯さざるを得なかった犯人に対する、そして、咎なくして殺されざるを得なかった被害者に対する、やさしいまなざしです。
金田一耕助氏は、明智小五郎と並ぶ、日本の名探偵の一人ですが、明智氏の人気が、そのスマートでダンディなところに由縁するであろうに反して、金田一氏の魅力は、そのやさしさにあると思われます。
金田一氏は、ハッキリ申しまして、名探偵などではありません。
氏は依頼された職責を果たせません。
なるほど、氏は最後に、犯人の意図を暴き、事件の全容を明らかにします。
しかし、そのときにはすでに手遅れで、犯人の意図は完遂されてしまっています。
実際問題からしましたら、氏は「名探偵」どころではなく、むしろ、「迷探偵」です。
にもかかわらず、氏が名探偵と称されるのは、最後に事件の全容を明かにすることによるとともに、その限りなくやさしい人柄の故にあることと思われます。
金田一氏は、ひとつの事件を解決すると、そのあまりのやるせなさに、漂泊の旅に出ることがしばしばであった、と、云うことを、なにかの作品中に書かれています。
氏は依頼された事件を未然に防ぐことはできません。そう云う意味では、探偵として落第ですが、氏の、人を思いやるこころ、心ならずも殺人と云う大罪を犯さざるを得なかった犯人の心情を、そして、無残に殺されざるを得なかった被害者に対する哀惜の念、それを、我が身に起こったことのように感じる感性、それこそが、金田一氏の魅力であり、横溝正史さんの作品の魅力である、と、思います。

それが如実に現れているのが、この『悪魔の手毬唄』です。
それこそが、この作品をして、横溝氏の代表作たらしめている由縁であり、ぜひ、ご一読を乞うゆえんであります。

金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄
金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄
横溝 正史
| 築山散作 | 気まぐれ読後感 | 10:13 | - | - |
『髑髏検校』
むかし、“翻案小説”なるものがありました。
精確には、法律上の厳密な定義や規定があるのでしょうが、大雑把に申しますと、海外の小説などを、物語の筋はそのままに、舞台や人物を日本のそれに置き換えたものです。
明治期に、翻訳家、作家、記者として活躍した黒岩涙香などは、この“翻案小説”の名手でした。
なにしろ、原作よりも、涙香の翻案の方がおもしろい、と、評判されたくらいなのですから、その力量のほどがうかがいしれましょう。
いまでもなじみの深い、『ああ、無情』(原題:レ・ミゼラブル)、『岩窟王』(原題:モンテ・クリスト伯)などの題名は、涙香による命名です。
日本推理小説の祖、江戸川乱歩氏は、涙香の翻案小説に魅了されたあげく、涙香の翻案小説をさらに翻案して上梓しました。
それくらい涙香の翻案小説は、魅力にとんでいたのです。
江戸川乱歩氏と並ぶ日本推理小説界の巨頭、横溝正史氏にも、翻案小説があります。
『髑髏検校』がそれです。
いかにも横溝氏らしい、おどろおどろしい題名ですが、原作は『吸血鬼ドラキュラ』です。
原作は長編としても長大な分量ですが、氏の『髑髏検校』は中編です。
と、云っても、ダイジェストではありません。
あまり人の口の端にのぼりませんが、横溝作品の魅力の一つには、氏の類稀なストーリー・テリングの才があります。
この『髑髏検校』にしましても、ブラム・ストーカーの長大な原作を要領よくまとめ、いわゆるひとつの好読物に仕上げておられます。
とりわけ驚嘆するのは、そのラスト──。
最近でもゲームなどで、無念の思いを抱いて亡くなった歴史上の人物が、最後の大物、と、して登場するパターンが見受けられますが、その遠因はじつに、『魔界転生』にあるのではなく、この『髑髏検校』にあるのです。

髑髏検校 (角川文庫)
髑髏検校 (角川文庫)
横溝 正史
| 築山散作 | 気まぐれ読後感 | 10:05 | - | - |
『こころ』読中-1
『こころ』を読んでいます。
と、云うと、
「?」
と、云う顔をされます。
「読んだことなかったの?」
と、云う人もいます。
「いまどき、なんで『こころ』なん?」
と、云う顔をする人もいます。
じつを申しますと、『こころ』は何度も読んでいます。何度読んだかわからないくらい、読んでいます。
にもかかわらず、今回も読んでいます。
「読んでても、忘れてるところとか、あるからな」
と、云うのは、好意の表われでしょう。
ラブレーだったか、他の人だったかの言に、
「一読して再読されぬ書物のみ書庫に満つるは寂漠である」
と云う意味のことがあります。
世の人が多く小説を読むのはなんのためでしょう。
人生の教訓を得るため?
波瀾万丈のストーリーにハラハラドキドキするため?
世間の話頭にのぼっているため?
文学史的な知識を獲得するため?
なるほど、それはそれで結構でしょうし、そういう読み方が悪い、と、断ずるつもりもありません。
しかし、それならば、一読するだけで充分でしょう。
なにも高いお金を払って本を買い、場所をとって保管して置く必要もないでしょう。
図書館で借りて、読んだら返せばそれで充分です。
いえ、あえて読む必要も、ないかもしれません。
粗筋と見どころを解説した本を読めばいい話です。
小説から人生の教訓を得ようと思えば、自分で考えなければいけません。
にもかかわらず、それすら面倒くさがって、いわゆる文学評論家なる者の所説をおぼえこんで、あたかもそれが自分の見解のように思い込む、お目出度い人もいらっしゃいます。
小説そのものなどそっちのけで、それに対する諸家の評をのみ珍重する人もいらっしゃいます。
あっぱれ、かくあるべきインテリの姿です。
漱石の諸作は、そんなインテリ諸公に対する、一種の試金石となります。
と、申しますのも、漱石の諸作に対する、いわゆる文学評論家の解釈、見解は、ことごとく、間違っているからです。
とりわけその傾向は、『こころ』において、はなはだしいものがあります。
『こころ』と云いますと、「主人公である『先生』は、かつて親友を裏切って恋を得たが、親友が自殺したためにその罪の呵責に耐えかね、ついには自らも命を絶つ」物語、と、思っている人が、けっこういるようですが、しかし、その見方は、とんでもない間違いです。
漱石は十九の最後に書いています。

「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好い御友達が一人あったのよ。その方が丁度卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」……「実は変死したんです」
「……その事があってから後なんです。先生の性質が段々変ってきたのは。……」
「……しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。……」
私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。

先生が親友(K)の自殺によって罪の意識に責め苛まれていた、と、考える人は、奥さんや私ほど、先生を理解していない、と、云えるでしょう。つまり、『こころ』という作品を、読み込んでいない、と、云えます。

Kの自殺の原因を、先生に出し抜かれて失恋したため、と、考えるのも、同様に、Kにする無理解、誤解です。
五十三の最後に、漱石は書いています。

「私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていた所為でもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向って見ると、そう容易くは解決が着かないように思われて来ました。」

Kの自殺の原因をお嬢さんに対する失恋に帰する考えが、「簡単でしかも直線的」である、と、漱石自身が、キッパリと述べています。

にもかかわらず、「Kは先生に出し抜かれ、お嬢さんに対する失恋のゆえに自殺した」などと、平然と述べている、いわゆる文学評論家などと称される人々の脳細胞は、いったいどのような構造をしているのでしょうか。文学的とは別の意味で、興味をそそる問題です。

別の面から見てみましょう。
もし『こころ』の内容──主題、と、云っても、いいかもしれませんが──が、いわゆる「先生の過去」──お嬢さんをめぐる先生とKの葛藤─にあるのだとしたら、上、中、下の三つの章からなる『こころ』の構成が、意味を成さなくなってしまいます。上、中、の二章が、まったく、意味を成さなくなるのです。
三つの章のうち、「下」が、いわゆる「先生の過去」です。
「上」は「先生と私」と、なっていまして、若い私が、先生と出会い、その魅力に惹かれていく態が描かれています。
「中」は「両親と私」となっていまして、田舎暮らしの両親と私、そして、私から見た両親と先生との比較が描写されています。
じつは『こころ』においては、この両章こそが、重要なのです。
語り手である私は、なにゆえに先生に惹かれるのか?
先生とも両親とも違う、私の新しい精神とはどんなものか?

先生は自分の過去に代表される「明治の精神」を、若い私の前に明かにすることによってその精神を受け継がしめるとともに、その「明治の精神」に殉じます。

先生はなにゆえに、私に、自らの過去を打ち明けたのか?
自らの過去を私に打ち明けることによって、先生はなにを望んだのか?
他人を疑い、自分自身をすら疑ってる先生が、なぜ、私だけには、自分の過去を打ち明けるほど、信用したのか?
そんな先生を信用せしめるほどの私の精神──おそらくは、「明治の精神」とはまるで違う、新しく生まれ出でた精神──とは、どんな精神なのか?
先生のいわゆる「明治の精神」とはなにか?

『こころ』が世に出て、百年にもなります。
にもかかわらず、上述の疑問に答えられていないどころか、疑問とすら、されていません。
なさけないことです。
それを明らかにし、それを読解してこそ、真に、『こころ』を読んだ、と、云えるでしょう。
| 築山散作 | 気まぐれなブログ | 09:25 | - | - |
ロナルド・レーガン 3
レーガン氏が超保守派、と云うより、タカ派であることは、これまた有名だが、彼は俳優時代、五期(約十二年半)に渡って、映画俳優組合の委員長を務めた。
労組の委員長を経験した大統領は、彼が初めてである。
それよりも私の感覚としては、労組の委員長を経験した大統領が、超保守のタカ派である、と、云うのが、珍妙である。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 14:07 | - | - |
バックスクリーン3連発の日の昼食(弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、牛肉のしぐれ煮(すき焼き風)だし巻き玉子


昼食も、標題とは無関係である。ブロッコリがなくなったので、例によって例の道具(?)で、つくったのである。
困ったときのだし巻き玉子、である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 11:56 | - | - |
バックスクリーン3連発の日の朝食
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ブルーベリー・ヨーグルト、コーンクリーム・ポタージュ、野菜ジュース、インスタント・コーヒー


4/17は阪神ファンにとっては、忘れられない記念日である。
1985年(昭和60年)のこの日、読売ジャイアンツの槇原投手から、三番バース、四番掛布、五番岡田が、バックスクリーンへ立て続けにホームランを放ったのである。
三者連続ホームランでもめずらしいのに、三本が三本とも、バックスクリーンへ叩き込まれたのだから、これはもう、二度とお目にかかれない歴史的大記録であろう。
この快挙を評して、「天覧試合の仇を討った」とのたもうたのは、ウチの親爺である。
そんな記念日とはまるで関係ない、いつもながらの朝食である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:12 | - | - |
4/16(木)のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、キャベツとサバ味噌煮缶の炒め煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、ちりめん山椒、納豆、もずく、味付海苔


明日の晩は、例によって、外出である。
したがって、今日の晩飯が今週最後の晩飯である。
┄┄┄┄とは云え、別段書き記すこともない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:58 | - | - |
4/16(木)のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(漁師めしの素)、牛肉のしぐれ煮(すき焼き風)、ブロッコリの塩昆布あえ


久しぶりに、漁師めしの素をふりかけた。値段の割に量があって、しかも旨く、けっこうお得なのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:55 | - | - |
4/16(木)のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ブルーベリー・ヨーグルト、ポタージュ・スープ、野菜ジュース、インスタント・コーヒー


バナナが切れていた。まぁいい。明日もバナナは我慢して、来週から再登場させよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:50 | - | - |
以前メモした……
以前メモした『本陣殺人事件』の原稿が、見つからない。
どのUSBメモリにも入っていない。パソコンの本体にも残っていない。
巨大なショックである。また一からメモり直さねばならない。
まぁ、学問のやりなおし、と、思えば、悪くはないのだが┄┄┄┄。
| 築山散作 | 気まぐれなブログ | 22:53 | - | - |
4月真ん中のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、キャベツとサバ味噌煮缶の炒め煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、ごま高菜、納豆、もずく、味付海苔
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:20 | - | - |
4月真ん中のひとりめし(昼ー弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、牛肉のしぐれ煮(すき焼き風)、ブロッコリの塩昆布あえ


午後2時頃、職場の人に、「どないしたんや、えらい顔、赤いやんか。酒でも飲んだんか?」と、調戯われた。
「まさか」と、云って笑ったが、よく考えてみると、牛肉のしぐれ煮をつくるとき、隠し味にビールを入れたのだが、少し入れ過ぎたかもしれない┄┄┄┄。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:10 | - | - |
4月真ん中のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ブルーベリー・ヨーグルト、オニオン・コンソメ・スープ、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:09 | - | - |
親指シフト
昔、ワープロを使っていた頃には、OASISの親指シフトを使っていた。
パソコンになって、JIS規格のローマ字打ちにならざるを得なくなった。
先日(こないだの木曜日)、アマゾンで親指シフトのキーボードを見つけて、購入した。
やはり文章を打つには、親指シフトの方が好ましい。
ただ、昔の勘を取り戻すのに、少々時間がかかるようである。
だれかも書いていたが、JIS規格キーボードのEnterキーのある位置が、親指シフトでは、「取消」キーになっている。
そのため、ともすれば、せっかく打鍵した文章が、すべて消えてしまう憂目に合う。
慣れが戻るまで、そうとう苦労するだろう。
| Woody(うっでぃ) | 気まぐれなブログ | 22:21 | - | - |
4月第3週のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、キャベツとサバ味噌煮缶の炒め煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、きゃら蕗、納豆、もずく、味付海苔


こちらは、変化しているのは、漬物類だけである。
それで一向苦にならないのだから、我ながら助かる。
毎日毎日献立に変化をつけていたのでは、たまったものではない。とても、身が保たない。
それを思えば、主婦の方のご苦労には、頭が下がる。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:56 | - | - |
4月第3週のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(わさびふりかけ)、牛肉のしぐれ煮(すき焼き風)、ブロッコリの塩昆布あえ


牛肉のしぐれ煮(すき焼き風)、ちょっと味が濃くなるかな? と、思いながらつくったのだが、どういうわけか、さほど濃くもならなかった。
味付けは分からぬものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:56 | - | - |
4月第3週のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、コーンクリーム・スープ、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ


変化しているのは、スープ類だけである。
もっと季節が進行すれば、少しは代り映えもしてくるかもしれない。
根拠はないが┄┄┄┄。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |
あたるの誕生日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのきいり)、キャベツとサバ味噌煮缶の炒め煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、バッテラ、いかなごのくぎ煮、納豆、もずく、味付海苔


ど〜も、量が多かったようである。バッテラか、玉子麦飯が余計だったようだ。
バッテラは、例によって、日曜の残り物である。
キャベツとサバ味噌煮缶の炒め煮、見てくれは悪いが、味はまずまずだった。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:27 | - | - |
あたるの誕生日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(しそふりかけ)、アジフライ(1尾)、ブロッコリの塩昆布あえ、ほうれん草とコーンのバター炒め


めずらしく写真を撮る時間があった。
ほうれん草とコーンのバター炒めは、もちろん、冷食である。
アジフライは、金曜に買ってきたものの残りである。
標題の意味は、分かる人には、分かる。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:59 | - | - |
週末の手抜きめし(昼‐弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、ウインナー、だし巻きたまご、ほうれん草とコーンのバター炒め


ウインナーはボイルした。おかげで臭みが取れて、好い具合に仕上がった。
だし巻きたまごは、例によって、例の道具(?)、である。
ほうれん草とコーンのバター炒めは、例によって、例の冷食である。

手抜きめしは今週で終り!
来週からは、ちゃんと(?)、自分でつくるぞ!
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 23:47 | - | - |
週末の手抜きめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ポタージュ・スープ、ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | - | 23:43 | - | - |
ロナルド・レーガン 2
レーガン氏が俳優だったことは有名だが、レーガン氏が大統領になって、一番後悔したのは、ハリウッドのプロデューサーたちだったらしい。
「彼にもっとマシな役をやっていれば、大統領なんかになることはなかっのに」
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 23:25 | - | - |
手抜き男のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ入り)、アジフライ(2尾)、辛子明太子、納豆、もずく、味付海苔


昨日の宣言(?)通り、えのきは入っていない。来週から入れる。
アジフライは、例によって、帰りにスーパーで買ってきた。好物のひとつなのだが、最近は高騰して、なかなか手に入らない、と、ニュースでやっていた。鯵だの鯖だの鰯だのは、昔から、大衆魚として、安いもの、と、相場が決まっていたのに、嘆かわしいことである。
昔に較べて大衆も堕落したが、魚も堕落したようである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:02 | - | - |
手抜き男のひとりめし(昼‐弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、コロッケ(2個)、ブロッコリの塩昆布あえ、ほうれん草とコーンのバター炒め


ほうれん草とコーンのバター炒めは、云う迄もなく、冷食である。
コロッケは、昨日の宣言(?)通り、スーパーの惣菜である。
ソースを持って行かなかったが、味がしっかりついているので、充分旨かった。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:56 | - | - |
手抜き男のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、オニオン・コンソメ・スープ、ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ


安い、と、思ったら、卵が小さかった。
世の中そう甘くはないようである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:53 | - | - |
手抜きのひとり晩食
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、コロッケ(3個)、しそかつおにんにく、ごま高菜、納豆、もずく、味付海苔


コロッケはスーパーの惣菜である。5個入りだったので、今晩3個食べて、明日の弁当に2個入れる。
しそかつおにんにくとごま高菜は、残部処分である。ごま高菜が、けっこう玉子御飯に合致う。
えのきがなくなった。明日の晩飯で今週の晩飯は終わりなので、明日の飛脚玉はえのきなしで我慢しよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |
手抜きのひとり昼食(弁当)
麦飯(わさびふりかけ)、だし巻きたまご(しそふりかけ入り)、ウインナー、ブロッコリの塩昆布あえ


いかにも、と、云わんばかりの献立である。
だし巻きたまごは、例によって、例のあれ、を、使った。
ウインナーが電子レンジ仕様ではなかったようで、どうも味がイマイチだった。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:50 | - | - |
手抜きのひとり朝食
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、コーンクリーム・スープ、ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ


変化しているのは、スープだけである。
朝食に変化をつけるのはむつかしい……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:48 | - | - |
男ひとりの手抜きめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、麻婆豆腐、辛子明太子、納豆、もずく、味付海苔


麻婆豆腐は日曜に買ったものである。あまり辛くなかった。
手を抜くときは徹底して抜く。あまりイバれた話ではないが……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:53 | - | - |
男ひとりの手抜きめし(昼-弁当)
麦飯(しそふりかけ)、さばの塩焼き(2切れ)、ブロッコリの塩昆布あえ


さばの塩焼きは、昨日スーパーで買った出来合いの総菜である。
ブロッコリは冷食。
手抜きとはこれ! みたいな献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:50 | - | - |
男ひとりの手抜きめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ポタージュ・スープ、ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ


野菜ジュースやトマト・ジュースの類は、朝食の三十分前に飲むといいらしい。
しかし起き抜けは頭がぼやけているので、つい忘れてしまう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:47 | - | - |
久々のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、ブリの照焼き(2尾)、ごま高菜、納豆、もずく、味付海苔


ひとりめしが久々なのではなくて、アップするのが久々なのである。
習慣化すると義務化して、面倒くさくなることがままあるものである。何事も、コツコツ毎日続ける、と、云うのは、性に合わない。
ブリの照焼きは帰りにスーパーで買ってきた出来合いの総菜である。
先の土曜は所用でお菜をつくれなかった。そんなわけで、今週は手抜きの週である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:16 | - | - |
『虞美人草』随感
『虞美人草』を読了した。
このあたりから漱石に対する評価の分岐が明瞭になり、ナカナカ面白くなってくる。
それはまた後日述べる(?)として、表面上、面白いのは、登場人物の名前である。
甲野欽吾、小野清三、井上小夜子はよかろう。
小夜子の父、井上孤堂も、号と思えば、違和感はない。
しかし、甲野欽吾の親類にして友人である一(はじめ)と、その妹の糸子の名字、「宗近」と云うのは、どうだろう?
「宗近」などと云う名字は、この作品以外で、聞いたことはない。
また、甲野の義理の妹――父の後妻の子――の名前が、「藤尾」である。
名字ならともかく、名前で「藤尾」とは……。
どうにもしっくりこない感覚である。
| 築山散作 | 気まぐれ読後感 | 10:26 | - | - |
193と893
小学生の頃、こんなことを云って喜んでいた。
「193って、な〜んだ?」
「一休さん!」
「じゃあ、893は?」
「ヤクザ!」

“ヤクザ”の語源にもいろいろな説があるが、花札賭博(オイチョカブ?)で、8、9、3の札が揃うと、全く役に立たない無効の手役(いわゆる“ブタ”)になり、それが転じて、なんの役にも立たない、無能な人間のことを、“ヤクザ”と云うようになった、と、云うのが、有力な説になっている。

“ヤクザ”の語源と同様、その本来の発生説にも諸説あるが、その中のひとつに、江戸時代、役職に就けずにあぶれていた血気盛んな旗本・御家人の次男坊や三男坊たちの集団と、常日頃は仕事のない威勢のいい町火消しの連中たちの集団が、“ヤクザ”のルーツだ、と、云うのがある。
町火消しの連中は江戸っ子たちの人気を集め、旗本・御家人の次男坊や三男坊たちは、お上の権威権力を笠に着ている。
いずれも、穏当な人たちからは、顰蹙されていた集団だったであろう。

過日、とある国会議員秘書のマスコミ取材陣に対するその対しようが、まるで暴力団そのもの、ヤクザそのものである、と、評された。

なるほど、ネットに投稿されたその動画を見ると、まさにそのとおりである。

しかし、“表現の自由”、“報道の自由”を振りかざして取材対象に迫るマスコミ取材陣たちの態度にしても、とても、紳士淑女の振る舞いであります、とは、云いかねる。

旗本・御家人の次男坊や三男坊の集団と、町火消しの集団との喧嘩沙汰……。

そう思って辟易したのは、なにもわたしばかりではないだろう。
| Mac | 気まぐれなコラム | 01:54 | - | - |
ロナルド・レーガン 1
1980年に第四十代の合衆国大統領に選出されたロナルド・ウィルソン・レーガン氏は、初の映画俳優出身の大統領として有名である。
彼が大統領に就任したとき、日本ではこんなことが云われた。
「日本の首相を、黒澤明氏にしたらどうか?」
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 01:08 | - | - |


 SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
LINKS
PROFILE
OTHERS