以前にも書いたが、金曜や土曜の夜は、たいがい、府内某所のライヴ・ハウスで時を過ごす。
別のライヴ・ハウスなどに行くときは、これを“浮気”と、称する。
で、先日の土曜日に“浮気”したのは、以前とおなじく、ジニーよりもかわいい
、麗しの魔女さまのライヴがあったからである
はじめて赴く場所だったので、遅れてはならじと早めに出掛けて、到着したのは開演1時間前だった。
ホールに入ると、麗しの魔女さまの歌声が聴こえてくる。
「はて? テープでも流してるのかな」
と、思ってみると、なんと、麗しの魔女さまご自身が、リハーサルをなさっておられるではないか
思わず笑みがこぼれ、あつかましくも並べられた椅子の真ん前に陣取り、しばらくその様子を拝見する。
うっとりと見惚れ、聴き惚れていたが、
(スタッフでもないのに、リハーサルを見学するとは失礼千万
)
と、気づき、時間まで館内をブラつくこととする。
やがて開演間近になり、腰を据えていると、麗しの魔女さまが近付いてこられ、気さくに礼を述べてくださった。
深紅のドレスにオレンジ色のつややかなロング・ヘアに、思わず胸がトキメキ、思わず抱きしめそうになったのをグッとこらえたのは、我ながらアッパレであった(あたりまえじゃい
)
あぁ、この魔女さまを見ずして、“美魔女”なる言葉を用いる輩の、なんとあさはかなことか
“美魔女”とは、まさに、この魔女さまのためにこそ、造られた言葉であってしかるべきである。
さて、ステージは2部構成。1部は魔女さまのステージ、2部は朗読と弾き語りで、かの『夕鶴』を物語られる、と云う御趣向。
1部は深紅のドレスで、魅力あふれる魔女さま独自の神秘的な世界を繰り広げられ、その霊妙なる世界をタップリと堪能する。
2部はガラリと変わり、夕鶴をイメージされた白無垢の衣装
だれもが知っている『つるの恩返し』の物語を、はたしてどのようにアレンジなされるのか、失礼ながら、『夕鶴』は魔女さまの世界とはそぐわないのではないか、などと、一抹の不安を抱きながらも、多大の関心をもって拝見していたのだが、これがなんと
わたいの不安など、まさに無知なる者の不安、だれもが知っている『夕鶴』の物語を、シッカリとご自身の世界のものとなされていた。
男の優しさを理解し、そんな男に惚れこみ、愛し、共に暮らす平穏な生活を願う女の哀しさと、優しく朴訥でありながらも、それゆえにこそ女を愛するがごとく、都の華やかさにあこがれる素朴な男の憐れさを、ギターの音色としっとりした歌声にのせて、見事に展開しておられた。
情念と云っては、烈しくなる。悲哀と云っては、湿っぽくなる。
あえて云えば、やさしき情念、愛あふるる悲哀、とでも、云うべきだろうか。わたいはいま、表現力に乏しい自分を恨む。
しかしそれも考えてみればやむを得ないのかもしれない。
言葉で表現できないからこそ、魔女さまはステージで表現なさるのであろう。わたいごときものの拙い文章で、魔女さまのステージの神秘を、その魅力を、その妖しくも美しい独自の世界を、表現できるものではない。
人はよく、一見相容れない二つのものを合致させて、双方の良さを保持しつつ、さらに素晴らしい境地に高め導くことを、“アウフヘーヴンさせる”と云うが、この日の魔女さまのステージは、まさにその“アウフヘーヴン”であった。『夕鶴』の“アウフヘーヴン”であった。
背後のガラスを透して見える外の景色は、岩肌を潤すせせらぎの趣向。
その景色が昼の終わりから残照に映えて、やがて黄昏が濃くなり、夜の帳が下りる風情へと変化していくさまは、よりいっそうの情緒を醸し出して、演出効果バツグンであった。
終演後、近くのコンビニで、麗しの魔女さまをかこんで、何人かで愉しくおしゃべりをした時間は、そのステージを拝見していた時間に勝るとも劣らぬ、愉しき時間であった
できれば、ふたりっきりで飲みに行きたかったなぁ〜、などと思ったのは、神をも畏れぬバチあたりな考え
とは云え、男ならば、ムリからぬ想い、と、云えるのではなかろうか。