ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

Blog(日記)と云うよりはEssay(随筆)
Essay(随筆)と云うよりはSketch(走り書き)
Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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弔 萩原健一氏
その訃報を耳にしたのは、昨晩のことでした。
いつも聴いているラジオ番組の途中で、パーソナリティがその報せを告げたのです。
わたしは特別、氏のファンだったわけではありません。むしろ、その私生活における破天荒さに、反感を抱いていたくらいです。
氏が多くの人にとって、カリスマ性を帯びた憧れだったことを知ったのは、はるか後日のことでした。
そのとき、氏と同じく、当時の若者たちのカリスマだった松田優作氏と並列して、ショーケン v.s .ユーサク、か、と、思ったものです。
氏が“テンプターズ”のヴォーカルであったことを知ったのは、さらにその後でした。
わたしには氏は、TV俳優として、まず最初に、認識されたのです。
云うまでもなく、『太陽にほえろ!』における、マカロニ刑事です。
“テンプターズ”の代表作、「エメラルドの伝説」は、わたしの大好きな曲のひとつで、カラオケなどでもよく歌ったものです。
氏は黒澤明監督の『影武者』で、武田勝頼を演じておられましたが、これはオファーされたのではなく、オーディションを突破して獲得されたものです。
そのエピソードを知ったときは、少しそれまでの認識を改めたものです。
今回の訃報に接して、氏の愛称である”ショーケン”が、「仲間内でケンと名の付くメンバーが3人いて、身長の順番に“ダイケン”“チューケン”“ショーケン”と呼ばれていたことから、萩原さんはそのままショーケンと呼ばれるようになった」ことを知りました(デイリースポーツより)。
とまれ、個人の好き嫌いを越えて、一時代のの若者たちを熱狂させた、紛れもないカリスマのひとりであったことは、何人と雖も否定できない事実でありましょう。
氏のご冥福をお祈りいたします。
| 映ちゃん | 気まぐれなブログ | 20:15 | - | - |
コカ・コーラ初製造の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(鯨大和煮ふりかけ)、スクランブル・エッグ風、ウインナー(5本)、小松菜のわさび和え


某料理レシピサイトで見かけて、こいつはいいわい、と、思って、さっそく紙カップを買って帰り、今朝方料理ってみたのだが、これをなんと呼ぶのが、残念ながら、失念してしまった。スマホで某料理レシピサイトを調べてみても、なぜか出てこない。やむを得ないので、たんに、「スクランブル・エッグ風」と、表記しておく。
鯨大和煮、と、云うと、頭のネジがいかれた動物愛護団体のメンバーどもが喚き立てそうだが、気にかけることはない。自分の主張は絶対に正しい、と、信じ込んでいるのは、地下鉄サリン事件を引き起こした某宗教団体だけではないのである。
鯨の肉を食するのがいけなくて、カンガルーや牛、バッファローやクロコダイル、豚や鶏、等々なら、いいのだろうか。いい、と、云うのなら、理由を知りたいものである。
なんやかやともっともらしい小理屈を捏ねくり回す前に、ネイティヴ・アメリカンやロマ民族、ユダヤ人や多くのアフリカ・アジアの民族を虐殺し、滅亡の淵に追い詰めたのはナニ民族なのか、再考してもらいたいものである。
唯我独尊のレイシストどもこそ、一刻も早く、絶滅していただきたい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:02 | - | - |
コカ・コーラ初製造の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


コカ・コーラ、と、云えば、わたいたちの世代、あるいはわたいたちより上の世代にとっては、ジーンズと同じく、アメリカ合衆国の象徴であり、アメリカ合衆国と云えばコカ・コーラ、アメリカ合衆国と云えばジーンズ、で、あった。
そのコカ・コーラが初めて製造されたのが、1886年の今日である。
製造者は、アトランタの薬剤師ジョン・ペンバートンである。
薬剤師が製造者、と、云うのも意外だが、当初コカ・コーラは、炭酸飲料水、嗜好品、と、してではなく、飲用薬品として使用されていたのである。
当時のコカ・コーラには、その名のとおり、コカの成分、コカインが含まれていた。Wikipediaによると、当時「ストリートで売られているコカインが15-35mgだったのに対して、コカ・コーラのオリジナルのレシピでは8.46mgのコカインを含むと言われている。しかし、コカの葉の効果は、コーラの実に含まれるカフェインによってかなり中和される」そうである。
現在のコカ・コーラには、もちろん、コカインは含まれていない。念のため。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
コカ・コーラが嗜好品であろうが、薬品であろうが、コカインが含まれていようがいまいが、そんなこととは一切関係のない、平凡そのものの、いたって健康的な献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:17 | - | - |
シルクロードの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(油揚げ、とろろ昆布、乾燥わかめ)、真アジ大葉フライ、小松菜のわさび和え、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔


真アジ大葉フライは、例によって例の如く、近所のスーパーで買ってきた……ものではないのである、今日の場合は。
駅前の大型スーパーで買ってきたのである。今日は他にもそこで買わなければならないものが多々あって、ついでに、と、云ってはなんだが、そこで今晩の惣菜も買ってきたのである。
先日も記したが、揚げ物フライ物などは、外食時か、こうしてスーパーなどで買ってくるのでなければ食しない。要するに、自分では料理らないのである。
しかしそれでもちょこちょこと、いわゆる「揚げない」揚げ物などには挑戦している。現在のところ、理想の出来には程遠く、食べられないことはない、と、云ったところが上等の部類である。
少しの油でいい、と、書いているのにつられて、油が少なすぎるのかも知れない。あるいは、油が充分に加熱されていない、とか。あり得ることである。
近年はガス・コンロ自体に温度計が設置されてあって、油が現在何℃になっているか、一目瞭然たる品があるそうである。実家のガス・コンロがそうであった。便利なものである。勘と経験に頼り、しきりに失敗を繰り返すことによって体得しようとしているわたいなぞ、ひと昔もふた昔も前の人間だろう。もっとも、それが悪い、とは、思わないが。食材や調味料などを無駄にしない限りは。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:55 | - | - |
シルクロードの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(自家製大根の粕漬け)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、菜の花の胡麻和え


菜の花の胡麻和えは、近所のスーパーで買ってきた惣菜である。
今年はあまり菜の花を使わなかったような気がする……と、云う以前に、今年は去年に較べて、意欲が湧かず、やる気が起きず、サボって手を抜くことが多かった、のである。
そうこうしているうちに、菜の花の季節──いわゆる「旬」が、過ぎ去ろうとしている。残念なことである。そのときには、まだまだ日時はある、と、思って、次の機会に、などと考えるのだが、いざその時日が過ぎ去ってしまうと、なんかアッと云う間だった、と、思ってしまうのである。我ながら、浅墓なものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:40 | - | - |
シルクロードの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は“シルクロードの日”だそうである。
「今日は何の日〜毎日が記念日」と云うWebsiteによると、“1900年のこの日、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された“ことにちなむそうである。
シルクロード、と、云えば、古代中国と古代ローマとを結ぶ、雄渾壮大な交易路、としての印象が強いだろう。
Wikipediaによれば、“中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称”であり、“中国側起点は長安(陝西省西安市)、欧州側起点はシリアのアンティオキアとする説があるが、中国側は洛陽、欧州側はローマと見る説などもある”らしく、“現在の日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国と秦・漢帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多い”らしい。
一般に、シルクロード、と、云うと、陸路のみと思われるであろうが、“南北の交易路や海上の交易路をも含める。つまり、北方の「草原の道(ステップロード)」から南方の「海の道(シーロード)」までを含めて「シルクロード」と呼ばれるようになっている”らしい。
現在中国の習近平氏が提唱し、推進している「一帯一路構想」が、シルクロードの現代復活版であることは、云うまでもないだろう。
その成否、生るかならぬかは別にして、雄渾壮大な構想であることには違いない。政治家にせよ、国民にせよ、せせこましい島国の人間の頭脳には、とても浮かばない発想である。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
「一帯一路構想」が成ろうが成るまいが、せせこましい島国根性の政治家や国民たちの頭脳がどうであろうが、そんなことには一切かかわり合いのない、いたって雄渾壮大ならざる、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:38 | - | - |
利休忌のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(わかめ、とろろ昆布)、サバ塩焼、ほうれん草とひじきの胡麻和え、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔


サバ塩焼とほうれん草とひじきの胡麻和えは、例によって例の如く、近所のスーパーで買ってきたものである。やはり青菜類が食卓にないと、なにかもの足りない。或る意味、わたいの献立のメイン・ディッシュは、青菜類である。
今晩はサバ塩焼で、これで三日連続焼魚である。昔は、トンカツだの、鶏の唐揚だの、ヒレカツ、すき焼き、等々、揚げ物や獣肉類を欲したものだが、いつ頃よりか、魚肉類の方を好むようになった。やはり年をとった、と、云うことだろうか。
しかし考えてみれば、子どもの頃は、獣肉類よりも魚肉類のほうが大好きだったのだから、別に不思議ではないのかも知れない。獣肉類や揚げ物を好んでいたのは、中学生の中頃から、四十代の半ばまでだったような気がする。
かと云って、トンカツや鶏の唐揚が嫌いになった、と、云うわけではない。ここには載せないが、外食時にはよく食べているのだから、要は、料理るのが面倒くさい、あるいは冷めたのを食べる気がしない、と、云うだけのことだろう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:52 | - | - |
利休忌のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(鯨大和煮のふりかけ)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、小松菜のわさび和え


トッピングの鯨大和煮のふりかけは、去年仕事でお世話になったアルバイトのかたに戴いたものである。
昨年3月に仙台の地に赴かれ、そのときは1年後に帰阪する、と、云うことだったので、愉しみにしていたのだが、先日わざわざ仕事場まで訪ねてきてくれて、話をしていると、赴任期間が1年延びた、と、云う。残念無念、落胆ガッカリ……で、ある。
そのときにお土産としていただいたのが、今日のトッピング、鯨大和煮、で、ある。
大阪ではなかなか味わうことのできない、ご当地名産である。
大事に大事に、大いに愉しみつつ、味わっていくつもりである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:40 | - | - |
利休忌のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日と明日は、京都大徳寺において、利休忌が行われる日である。
千利休と云えば、茶道の大成者として、また、「わび・さび」に代表される、枯淡の美意識を広めた人物として有名である。
と、ともに、信長、ついで秀吉、と、云った、いわゆる天下人に近侍し、大いに権勢をふるったことでも有名である。
秀吉に切腹を命じられ、その一生を終えたことは有名であるが、その原因──秀吉はなぜ利休に切腹を命じたのか、その理由は、いまもって謎のままである。
さまざまな原因理由が説かれ、述べられているが、そのなかには、利休があまりにも横柄権柄ずくに振舞うのに、秀吉が堪忍袋の緒を切った、と、云う内容のものも少なくない。
その他、さまざまな逸話や歴史事実から察するに、「わび」の「さび」のと云いながらも、けっこう、裏表のある人物だったようだ。
だから死後、その人柄が、表千家と裏千家に、分離したのだろうか。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
わびともさびとも、権力者の威を借る文化人とも、一切縁のない、ウラもオモテもない、いたって公明正大、清廉潔白な献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:37 | - | - |
パリ・コミューン誕生の日のひとりめし(晩)
晩:玉子麦飯、即席みそ汁(長ねぎ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、銀鮭の塩焼き、小松菜のわさび和え、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔


小松菜のわさび和えは、帰宅してから料理ったものである。
湯掻いて水にさらして絞って切って和えるだけ、なのだから、さして時間はかからないはずなのだが、如何せん、気が急いてどうにもならない。我ながら落ち着きのない性格である。それが解っているから、土日に料理り貯めしておこうとするのだが、それがここ数ヶ月、思うように行っていないことは、すでにみなさん、ご存知のとおりである。
とにかくこれで、今週数食分の目処はついた。残り数食、足りない分は、例によって、近所のスーパーで賄うことにする。揚げ物や焼き魚ばかりでなく、ちょっとしたごま和えやお浸しなども、意外と好いのが揃っているので、わたいとしては、まことに調法なのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:44 | - | - |
パリ・コミューン誕生の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(自家製大根の粕漬け)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、ブロッコリの塩昆布和え


麦飯の分量をミスった。いつもは当日の晩食の分と合わせて1合半(米:1合+麦:半合)炊くのだが、今日は、今日と明日の弁当の分(米:1合半+麦:半合)を炊いた。
全体の分量としては間違ってなかったはずなのだが、今日の分と明日の分を分けるときに、明日の分を多めに冷凍保存してしまった。均等に分ける、と、云うのも、意外とむずかしいものである。
今日は例の料理器に油を引いてから料理ってみたが、やはり玉子がこびりつく。どうやら油の有無ではなく、成形するために抑えて置く時間が長すぎるのだろう。今度は少し早目にリリースしてみよう。それでもダメかな?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:42 | - | - |
パリ・コミューン誕生の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


1871年(明治4年)の今日、普仏戦争後のフランス・パリにおいて、世界初と云われる、労働者による自治政府が誕生した。いわゆるパリ・コミューンである。
Wikipediaによると、“このパリ・コミューンは約2ヶ月でヴェルサイユ政府軍によって鎮圧されたが、後の社会主義、共産主義の運動に大きな影響を及ぼし、短期間のうちに実行に移された数々の社会民主主義政策は、今日の世界に影響を与えた”そうである。
Macなどは、このパリ・コミューンの歴史上の意義に好意ある評価を与えながらも、
──それだったら、加賀国に約100年間存在した“百姓の持ちたる国”は、どうなるんだろうね。
と、半ば本気で、半ば皮肉に、呟いていたものである。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
労働者による自治政府とも、百姓が支配した国とも、一切縁のない、いたって平和な、夢のない、献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:37 | - | - |
電気記念日の日のひとりめし(晩)
助六寿司、即席みそ汁(しじみ、とろろ昆布、乾燥わかめ)、さわらの西京焼き、菠薐草のお浸し、自家製白菜の粕漬け、冷奴、納豆


助六寿司は、日曜に食べようと思って買ってきたものであるが、諸般の理由により、余ってしまったものである。弁当のお菜にした牛肉コロッケも同様である。
惣菜は今日、近所のスーパーで買ってきたものである。つまり、この土日も、料理をしなかった、と、云うわけである。
どうもこのところ、怠け癖が定着してしまってどうしょうもない。困ったものである。やる気がないわけではないのだが、金曜の夜を迎えると、途端に糸が切れたように、ノンベンダラリ、と、なってしまうのである。そして土日になると、まあいいか、と、なって、なにごとをすることもなく過ごしてしまう。もったいないことである。
ただ言い訳すれば、土日にまで気を張って、あれやこれやをこなそうとすると、身体も気持ちも、休まるヒマがない。年をとると、土日の休みが貴重になってくるのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |
電気記念日の日のひとりめし(昼-弁当)
助六寿司、牛肉コロッケ(3個)、ブロッコリの塩昆布和え


今日は“電気記念日”であるらしい。
Wikipediaによると、“1878年3月25日に、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯された。これを記念して日本電気協会が1927年9月に制定”したのだそうだ。
1878年と云えば、明治11年である。当時としては50個のアーク灯の点灯は、かなり盛大かつ豪華な見物だったであろう。
時代は下るが、夏目漱石の『虞美人草』に、1907年(明治40年)に催された東京勧業博覧会の描写があり、その壮麗さに唸ったものだが、おそらくこの中央電信局の開局祝賀会も、壮麗なものだったに違いない。
もっともそのことと、わたいの弁当の中味とには、なんらの関連もない。
電気ともアーク灯とも、祝賀会とも博覧会とも、一切無縁の、いたって侘々寂々たる弁当である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:36 | - | - |
電卓の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(自家製大根の粕漬け)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5個)、ブロッコリの塩昆布和え


そんなわけで、お菜がなくなったとき or 料理るのがジャマくさかったときの定番の献立である。
玉子焼きはいつものように、レンジで料理れる容器を使用したものだが、どう云うわけか、玉子が容器の壁にへばりつくようになった。
長く置き過ぎているのかも知れないし、あるいはやはり少量の油が必要なのかもしれない。今度料理るときは、サラダ油を少し垂らしてみよう。
ウインナーは買い置きしておくと便利である。ただ、電子レンジを使える商品が少ないのは残念である。たいていは、フライパンで炒めるか、鍋でボイルするかしか、調理方法として記していない。
ひょっとすると、電子レンジを使うと、中身が破裂する恐れがあるからだろうか。まずそんなこともなかろうが、万に一つでも、あるいは偶然にでも、そのような事故が起これば、企業イメージや製品に対する信頼は地に落ちかねない。企業にとっては致命傷となりかねない場合もあるだろう。だから電子レンジでの使用方法は記していない、つまり、認めていないのではなかろうか。
そこまで気を廻して用心しなければならないとは、なんとも気の毒なことである。
その点、政府与党など、気楽なものだ。いくらバカをさらけ出そうが、立法や統計の基礎データの改竄捏造が発覚しようが、信頼は失墜しない。頼もしきは愚かな国民、と、云うわけであろう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:09 | - | - |
電卓の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は“電卓の日”だそうである。
Wikipediaによると、“1974年のこの日、電卓の生産量が世界一になったことに由来”して、“日本事務機械工業会(現:JBMIA)が制定”したのだそうである。
1974年と云えば、昭和49年である。
PCが発達普及した現在はともかく、それまでは、電卓なしでは仕事が進まなかったろう、と、思われるのだが、生産量の面から見ると、意外に遅いような気がする。
電卓、すなわち電子式卓上計算機、は、1963年(昭和38年)に世界で初めて発明され、1960年代後半から1970年代前半にかけて、価格破壊と呼ばれる激烈な低廉化が進んで、大いに普及するようになった。
PCが発達普及した現在でも、電卓を必要としない仕事場は稀少であろう。
もっともそのことと、、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
電卓ともPCとも無縁の、いたってアナログな献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:06 | - | - |
カメラ発明記念日の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(油揚げ、とろろ昆布、乾燥わかめ、ニラ)、さわら西京焼、ミックスサラダ、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔


なにやら発酵食品ばかりになってしまったような気がする。
みそ汁は云うに及ばず、大根の粕漬け、納豆、さわらの西京焼きも、味噌を使っている。
まぁ、発酵食品は健康によろしい──とりわけ、腸内環境の整調や美肌に効果があるそうである。美肌、と、云うと、女性が関心を抱くもの、と、思われがちだが、なんのなんの、アトピー性皮膚炎、と、云う宿病を患っている身としては、心せざるを得ないのである。
朝のヨーグルトも、発酵食品である。こうして考えてみると、とりわけ意識していたわけではないが、けっこう発酵食品を摂取しているようである。我ながら、リッパなものだ。
さわら西京焼とミックスサラダは、近所のスーパーで買ってきたものである。
近所のスーパーは、好い焼魚を売っているのでありがたい。お菜を料理るのが面倒臭いときなどは、大いに重宝している。
店の中の調理場で料理っているらしく、揚げ物にもいいものが多い。それはそれでありがたいのだが、あまりありがたがってばかりいると、手抜きが多くなってしまう。便利だからと云って、甘えてばかりもいられまい。少しは気を引き締めて、自分でも料理しなければ。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:59 | - | - |
カメラ発明記念日の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(自家製大根の粕漬け)、ハムカツ、ブロッコリの塩昆布和え


自家製大根の粕漬けは、自家製「大根の粕漬け」であって、「自家製大根」の粕漬けではない。念のため。
1週間くらいつけておいたのだが、どうやらそれでも漬かりきっていないようだ。漬物にしてはまだまだ硬い。参考にしたレシピでは、1週間でも長すぎるようなことを書いていたが、ひょっとすると、材料が多かったのかも知れない。なにしろブリ大根で余った大根を、全部注ぎ込んだのだから。
なんにしても、食べられないような味付けにはなっていなかったし、腹痛も起こしていないので、あと2〜3日すれば、ちょっとはマシになっているかもしれない。漬物が上手くできるようになると、野菜の残りが大いに活用できるであろう。よろこばしいことである。
ハムカツは当初、休日の朝食やおやつに、ハムチーズトーストを料理って食べよう、と、思って、買っておいた食材を使用したものである。
揚げ油の量か、温度か、なにが具合が悪いのか、どうも上手く行かない。やはり揚げ物はむずかしい。
そのうえ、朝、電子レンジで温めなおしたら、中のチーズが流れ出てしまった。困ったものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:48 | - | - |
カメラ発明記念日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は“カメラ発明記念日“であるらしい。
「今日は何の日〜毎日が記念日〜」と云うWebsiteによると、“1839年のこの日、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明した”ことにちなんで、定められたようである。“この写真機は「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、長時間露光させるため写真機の前で長い間じっとしていなければならなかったが、大変な人気を集めた”そうである。
1839年と云えば、日本では天保10年である。
2年前は大坂浪花で大塩平八郎の乱がおこり、14年後には黒船がお越しになろう、と、云う、幕末以前の暗黒期、とも呼ぶべき時期である。
むかし、薩摩藩主島津斉彬が写真の被写体となったとき、動かぬように、椅子の背に支えをして首を固定した、と、聞いたことがあるが、このときの写真機が、ここで云う、「ダゲレオタイプ」だったのだろうか。
現在は“写真機の前で長い間じっとしていなければならなかった”どころの話ではなく、写真機とも思えぬ写真機や、いつ撮影されたのか分らない(分られない)写真機なども手軽に入手することが出来る、物騒極まりない時代である。180年の間における科学技術の進歩とは、恐ろしいものである。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
写真を撮影するのに長時間かかろうが、瞬間ですもうが、そんなこととは一切縁のない、いたって長閑で平和な、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:46 | - | - |
精霊の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(わかめ、とろろ昆布、ニラ)、昆布さば塩焼き、菠薐草のお浸し、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔


結局この土日も、グダ〜ッとして過ごしてしまった。今週は木曜が祝日でもあることだし、まあいいか、と、言い訳にもならぬ言い訳をして、ノンベンダラリを決め込んだのである。まったく、愚だ。
そんなわけで、主菜は近所のスーパーで買ってきた。
菠薐草のお浸しと山芋の上のオクラは、先週の残り物である。とりあえずこれで、先週の残り物は処分できた。
問題は今週のお菜である。どうせ休日の前の夜は、ノンビリ外食で贅沢することに決めているので考えなくていい。と、すると、とりあえずは、明日の晩食のお菜だけ考えておけばいいだろう。近所のスーパーで、惣菜と野菜サラダでも買おう。
弁当のお菜は、例によって、玉子焼きとウインナー、それに冷凍保存してあるブロッコリを使用する。それでなんとかしのげるだろう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:47 | - | - |
精霊の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ゴーヤの佃煮)、ハムカツ、ブロッコリの塩昆布和え


今日は“精霊の日”だそうである。
Wikipediaによると、“柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日がこの日であると伝えられていることから”制定されたらしい。
柿本人麻呂は、梅原猛氏の『水底の歌』において、政争に巻き込まれて刑死した、と、述べられており、また伝説の歌人猿丸太夫と同一視されている。もっともこれはかなりの異説であるらしく、学界では受け入れられていないそうだ。ちなみにこの説を基にした作品に、『猿丸幻視行』がある。
和泉式部は、“恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された”そうである(Wikipediaより)。
小野小町は古代エジプトのクレオパトラ、唐中国の楊貴妃と並んで、世界三大美女のひとりに数えられていることで有名である。深草少将の逸話も有名である。深草少将に想いを打ち明けられた小野小町が、それならば百日間わたしの元にお通いなされたら結婚しましょう、と、云われ、毎夜通い続けたが、九十九日目に雪の中で凍死した、と、云う話である。
なんだか、精霊の日、と、云うよりは、怨念の日、としたほうがよさそうだ。
もっともそのことと、わたいの弁当の中味とには、なんらの関連もない。
精霊とも怨念とも、政争とも色恋とも、まったく縁のない、いたって平和で穏やかな献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:39 | - | - |
靴の記念日の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ゴーヤの佃煮)、玉子焼き、ウインナー(5本)、小松菜のわさび和え


玉子焼きとウインナーがご登場あそばされた、と、云うことは、主菜がなくなった、と、云うことである。
今週は久しぶりに料理をしたので、料理りすぎたかな、と、思ったものだが、意外とそうでもなかった。菠薐草のお浸しが1食分と、ゴーヤの佃煮、山芋短冊、オクラの小口切りが、少々残ったくらいである。
完璧に近い消費ぶりである。
さて来週であるが、昨日も記したように、温野菜サラダ→肉じゃが、と、発想が移って、肉じゃが=温野菜サラダ+獣肉、と、都合のいい発想が生まれた。
要は、温野菜サラダと肉料理との結合こそ、肉じゃがである、と、云う、発想である。
副菜は、青菜類、と、決まっている。あとは漬物類だが、大根の粕漬けがうまく漬かっているかどうか……。このあたりは、はなはだ心もとない。
とにもかくにも、来週の献立はほぼ定まっている。あとはこの土日の気力体力意力等々次第、である。
ようやく春めいてきた、と、思ったら、昨日あたりから、また冬の空気に逆戻りしたようである。
この週末はどうだろうか。なにやら交替りやすく、それでいて寒さもまだまだ続くような、春冷えと云うのだろうか、定まりなき天候のようである。
みなさまがたには体調管理にご用心くだされて、愉しい週末を過ごされますように(^_^)/
また来週、お目にかかりましょう!
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:59 | - | - |
靴の記念日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、きんかん(5個)


今日は“靴の記念日”であるらしい。
Wikipediaによると“日本靴連盟が1932年に制定”したのだそうである。“明治3年(1870年)旧暦3月15日、西村勝三が築地に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した”ことを記念して、とのことであるらしい。
ふと思ったのだが、数年後、この経緯が、某国放送協会の朝の連続テレビ小説に採り上げられるかもしれない。
それはともかく、1932年と云えば、昭和7年だから、記念日としては、わりと古いのではないだろうか。
靴、と、云えば、西洋のものだろう、と、思っていたが、考えてみれば、日本靴、と、云うのもあるわけで、例えば、中臣鎌足が拾って差し出した中大兄皇子の蹴鞠靴などは、その代表であろう。
もっともその際の表記は、「靴」ではなく、「沓」あるいは「履」が、相応しいだろう。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
日本初の西洋靴の工場を開設した経緯が、朝の連ドラになろうがなるまいが、靴の表記がどうであろうが、そんなこととは一切無関係の、いつも通りの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:56 | - | - |
大阪万博開幕の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(しじみ、とろろ昆布、乾燥わかめ、ニラ)、鰯の生姜煮、小松菜のわさび和え、山芋の上のオクラ、冷奴、納豆、味付海苔


今週はわりと多種多彩な献立になったような気がする。
主菜で3種類、副菜で3種類、そして漬物類(ゴーヤの佃煮)も料理ったのだから、まずまず、である。
その他にまだ、ブリ大根で余った大根を、粕床に漬けている。大根の粕漬け、と、洒落こんでみたのだが、果たしてうまく漬かっているかどうか……。うまくできていたら、来週の漬物類はこれで賄える。新たに買う必要もなくなるだろう。
あと、ブリの切身が1切れ残っている。冷凍保存してあるので心配ないが、これをどう料理しようか。煮つけにするのが好みだが、素焼きのままでも構わない。
今週は、偶然ながら、鶏肉(鶏肝)と魚肉(ブリ、鰯)と、釣合いのとれた主菜の構成になった。願わくば、来週も、そうありたいものである。
来週は、豚肉と魚肉の釣合いを狙っているのだが、果たしてどうなるか……。明日になれば、またその目論見も変わっているかもしれない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:57 | - | - |
大阪万博開幕の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ゴーヤの佃煮)、ブリ大根、菠薐草のお浸し


前回忘れていたすりごまを、今回はキッチリ振りかけた。
ごまには健康によろしい油分が多量に含まれている。リノール酸、オレイン酸といった、不飽和脂肪酸である。
そして、菠薐草に多く含まれているビタミンAが、油分と一緒に摂取すると、その効率が良くなることは、これまでにも、たびたび記してきたところである。
他にも、ごまが肝機能を向上させ、美肌や体脂肪の減少に効果を発揮することは、よく知られている。また、コレステロールを除去し、脳梗塞や生活習慣病の予防になり、便秘解消にも効果がある。女性にはうれしい食材であろう。
ごま和え、ごま炒め、など、各種献立の名脇役として活躍するのみならず、みそ汁やご飯にかけても美味しい。とりわけ、擦り立てのごまの、あの香ばしい匂いが、食欲をそそる。
ごまは小粒でも、重宝この上ない食材なのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:54 | - | - |
大阪万博開幕の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、きんかん(5個)


1970年(昭和45年)の今日、日本万国博覧会、通称:大阪万博が開幕した。
♪こんにちは こんにちは 世界の 国から〜
と、云う、三波春夫氏の唄とともに、現在に語り継がれる、戦後日本の二大イヴェントのひとつである。
もうひとつは云うまでもなく、1964年(昭和39年)に開催された、東京オリンピックである。
東京オリンピックが、戦後の焼け跡から復興を果たした日本の象徴であるとすれば、大阪万博は高度経済成長を果たした日本の象徴と云えるであろう。
当時は多くの人びとが、明るい夢と希望をもって、来るべき近き未来に、その目を輝かせていたものである。
さて現在、近い未来である2020年には東京オリンピックが、2025年には大阪万博が、再び開催される予定である。
それらは今度は、どんな日本の象徴となるのであろうか。
また、多くの人びとは、どのような思いをもって、どのようなまなざしで、この再来する二大イヴェントの到来を、見守っているのであろうか。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
万博ともオリンピックとも、明るい夢とも希望とも、まったく縁のない、いたってショボい、輝かしからざる献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:52 | - | - |
サンドイッチデーの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(長ねぎ、とろろ昆布、乾燥わかめ、ニラ)、ブリ大根、菠薐草のお浸し、山芋の上のオクラ、冷奴、納豆、味付海苔


昨晩とおなじ献立になってしまったが、やむを得ない。だいたい、これも何度も記していることだが、いわゆる「三年たまご」で、気に入ったものなら、毎日食べていても飽きない性分である。
それを考えれば、今週の献立は、ヴァラエティーに富んでいる、と、云える。
粕汁から離れて以来、野菜の摂取種類ならびに摂取量が激減したように思う。最低限の基本として、青菜類をしっかり摂っていればいい(約200g/日)はずなのだが、やはり多種多量の野菜を摂取するに越したことはない。
今日は、小松菜、大根、菠薐草、ニラ、オクラ、と、5種類のみである。種類、量、ともに、如何にも少ない。そろそろ、生野菜サラダを考慮しなければならないか。それとも別に手立てを考えるか。う〜ん、悩ましいところである。
こないだ近所のスーパーで買ってきた、御野菜サラダ、と、云うのが、なかなかよかった。あれを自己流で料理ってみようか。材料としては、カボチャ、ブロッコリ、人参、大根、ピーマン、玉葱、ジャガイモ、等々、と、書き出していたら、肉じゃがが食べたくなった……。来週は久しぶりに、肉じゃがを料理ってみようか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |
サンドイッチデーの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ゴーヤの佃煮)、鰯の生姜煮、小松菜のわさび和え


鰯と云えばいわゆる大衆魚で、廉くて量が多い、と、云うのが、その印象であるが、それだけでなく、栄養価も豊富であることは、これまでにもたびたび記してきたところである。
世上には、「鰯の頭も信心から」などと、鰯を侮蔑するような俚諺があるが、もっての外である。鰯にはDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)が、バランスよく、しかも豊富に含まれている。このDHAやEPAが、いま世間のスーパーや百貨店の食料品売場から、えごま油を駆逐している、オメガ3系高度不飽和脂肪酸であることは、みなさま、よくご存じのことであろう。そしてそれが、頭脳の働きをよくする栄養素であることも、近年とりわけ喧伝されているところである。
まさに、「鰯を嗤うものは他人に嗤われる」、「 鰯を軽んずる者は脳が軽い」、で、ある。
小松菜のわさび和えも久しぶりである。しばらく菠薐草と菜の花ばかりだったので、非常に懐かしく感じる。菜の花のからし和えも、菜の花の苦味とからしのピリリとした辛味とが上手く合致して、いいものであるが、小松菜のわさび和えも、またよし、で、ある。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:49 | - | - |
サンドイッチデーの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、きんかん(5個)


今日は“サンドイッチデー”なのだそうである。
Wikipediaによると、“数字の3(サン)が1(イチ)を挟んでいることから”なのだそうであるが、「今日は何の日〜毎日が記念日〜」と云うWebsiteによると、“この日とは別に、サンドウィッチの生みの親とされるイギリスのサンドウィッチ伯爵の誕生日・11月3日が「サンドウィッチの日」となっている”そうであるから、なんのためにこの日をわざわざ“サンドイッチデー”として命名したのか、解らない。
サンドウィッチはわたいも大好物で、(月曜の朝など)時間のないときなどに、好んでよく食べる。いろいろな具材が挟めるので、ヴァリエーションが豊富であるし、栄養価もよくなり、なにより手ごろで食べやすい。惜しむべきらくは、腹持ちがよろしくなく、すぐに腹が減ることである。その点、おにぎりに一籌を輸する。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
サンドウィッチがおにぎりに一籌を輸そうが輸そまいが、命名の由来が伯爵からであろうが、男爵からであろうが、そんなこととは一切無縁の、いたって平々凡々たる献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:47 | - | - |
モスの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(油揚げ、とろろ昆布、乾燥わかめ、ニラ)、ブリ大根、菠薐草のお浸し、山芋の上のオクラ、冷奴、納豆、味付海苔


だいたい、ブリ大根と云えば、冬場の献立であろう。それを、そろそろ春の訪れが感じられようか、と、云う、この時季に料理るところが、如何にもわたいらしい。
もっとも、ブリ大根はおろか、鍋料理にしたところで、夏場に食してはいけない、と、決まっているはずもないわけで、昨今のように、ただでさえ汗の出そうなくらい暖房の効いた料理店で酒を呑みながら鍋料理をつつくよりも、凍えそうなくらい冷房の効いた料理店で鍋するほうが、よほど気が利いている。エネルギーならびに環境上の観点からは、大いに問題があるであろうにしても。
食卓に青菜類があると、それだけで心なしか、落ち着く感じがする。だいぶしばらくぶり(約2週間ぶり?)なのだから、無理もない、と、云えば、無理もないが、ことほどさように、青菜類は大好物なのである。
今回は菜の花が見当たらなかった。残念である。まさか、もう時季外れになってしまったわけでもあるまい、と、思って調べてみたら、なんと、1〜3月が旬の最盛期であるらしい。と、すると、ボチボチもうお仕舞いではないか!
なんと短い期間であることよ。なるほど、むかしの人は上手いことを云う。
──花の命は短くて苦きことのみ多かりき
ちょっとちがうかな?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:52 | - | - |
モスの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ゴーヤの佃煮)、鶏肝の生姜煮、山芋の上のオクラ


以前にも記したかもしれないが、むかし、いわゆるグリーンカーテンを作っている職場の人が、生ったゴーヤを持って来てくれたことがたびたびあった。もちろん、わたい個人にではなく、そのときいた職場のみなさんに、で、ある。
その頃のわたいはゴーヤを調理できなかったので、そのご厚意を惜しげもなく断っていた。現在にして思えば、実にもったいないことである。
ゴーヤに茄子を加えても旨いが、ゴーヤだけでも充分である。なにもゴーヤ・チャンプルだけが、ゴーヤ料理ではないのである。
山芋の上のオクラは、すっかりそのネーミングが気に入ってしまった。他人にはさして洒落ているとも、面白いとも思われないだろうが、わたいにはなぜか、ツボにはまってしまったのである。納豆はもちろん、山芋やオクラなどの、いわゆるネバネバ系が、健康によろしいことは、これまでにもたびたび記してきたところである。しかし、山芋とオクラを、このような形で食すれば、タチマチ古式ゆかしき、万葉調の名歌が詠めるようになるわけではないことは、もちろんである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:49 | - | - |
モスの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、きんかん(5個)


今日は”モスの日”だそうである。
Wikipediaによると、“モスフードサービスが制定”したもので、“1972年のこの日、東武東上線成増駅前に初めてモスバーガーの実験店がオープンした”ことに由来するのだそうである。
近年、某経済誌の記事などで、さかんに不振が伝えられるモスバーガーであるが、数あるハンバーガー系のファスト・フード店のなかでも、もっともお気に入りの店である。
年2回、八戸に行ったときなどは、かならずと云っていいほど、モスバーガーの店に立ち寄り、その2階で本を読んだり、PCを打鍵いたりするのが日課のひとつになっている。
マクドナルドやロッテリアなどよりも、モスバーガーの商品のほうが、はるかにわたいの口に合う。
ただ私見ではあるが、マクドナルドやロッテリアの商品が、いわゆる一般ウケする味であるのに対して、モスバーガーのそれは、好みが分かれやすい味、と、云えるであろう。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
ハンバーガーともファスト・フードとも縁のない、いたって手作り感満載の(?)、簡素な献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:47 | - | - |
パンダ発見の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(わかめ、とろろ昆布、ニラ)、鶏肝の生姜煮、山芋の上のオクラ、冷奴、納豆、味付海苔


じつに久しぶりに、まともに(?)料理をしたような気がする。
ここしばらく、土日になると、妙な倦怠感に襲われて、なにごとをもしようと云う気が起らなかったのである。
その反動、と、云うわけではないのだろうが、今回はわりといろいろと料理ったような気がする。もっともそのひとつひとつは、いつもながらの献立にすぎないのだが……。
鶏肝の生姜煮は、前回料理ったときは、醤油を入れ過ぎたのか、煮つめすぎたのか、やたらに鹹くなって、閉口した。
今回は上手くいった。味わいも良し、肉も固くならず、上々の出来である。
山芋の上のオクラは、云うまでもなく、万葉の歌人である山上憶良のシャレである。だから、山芋短冊とオクラとを、混ぜ合わせてはいないのである。山芋の上にオクラが乗っていないと、意味を成さないのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:53 | - | - |
パンダ発見の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(海苔とかつおのふりかけ)、鶏肝の生姜煮、菠薐草のお浸し


今日は“パンダ発見の日(厳密には、ジャイアントパンダ発見の日) ”だそうである。
Wikipediaによると──
1869年のこの日、中国四川省の民家で、伝道中のフランス人神父アルマン・ダヴィドが、白と黒の奇妙なクマの毛皮を見せられた。これが、欧米でジャイアントパンダが知られるきっかけとなった。なお、この日を「パンダ発見の日」とするのは日本独自のことであり、学術的に正確な話ではない。パンダの生物学的発見はレッサーパンダが先であり、体格の大きい種が新たに発見されたことによって元々「パンダ」と呼ばれていたものが「レッサーパンダ」、大きいほうを「ジャイアントパンダ」と呼び分けることになり、さらに後者のほうが有名になるに連れて「パンダ」の名が後者の略称のように認識されるに至ったものである。
──のだそうである。
パンダはその愛くるしさから、日本のみならず、世界中で愛されており、この珍獣を外交に利用した中国政府の戦略は、「パンダ外交」と呼ばれている。
日本でもシャンシャン(香香)人気が爆発したことは、記憶に新しいところである。
もっともそのことと、わたいの弁当の中味とには、なんらの関連もない。
パンダとも、愛くるしさともまったく無縁の、どちらかと云えば、むさくるしい献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |
愚論〜沖縄経済史
 ハッキリ申しまして、経済に関するわたしの知識は、貧弱そのものです。自慢できることではないでしょうが、自信をもって云い切れます。経済に関するわたしの知識は、貧弱そのものです。
 そんなわたしでも、現在の為替レートが、固定相場制ではなく、変動相場制であることくらいは知っています。
 そしてその為替レートが、円安になれば我が国の輸出産業に有利であり、円高になれば不利であることも知っています。
 第二次大戦後は固定相場制でしたが、一九七一年(昭和四十六年)のニクソン・ショックにより、一九七三年(昭和四十八年)には、いわゆる先進諸国が相次いで変動相場制へと移行し、それが現在にいたっている、と、云うことも知っています。
 固定相場制のときには、円とドルとの為替レートが、1ドル=360円だったことも知っています。
 現在ではいくらくらいでしょうか。1ドル=100〜110円くらいでしょうか。このあたりになると、よく知りません。
 しかし、もし現在の為替レートが、1ドル=100〜110円くらいだとしますれば、固定相場制の時代から見ますと、現在は3倍超の円高になっていることになります。これくらいのことは、いかに数学が苦手なわたしにも解ります。
 我が国は工業資源に乏しく、国外から工業資源を輸入し、これを加工生産して輸出する、その差額で利益を得る、そうしなければ、我が国の国富は増大しない、それくらいのことも理解しています。
 余談ですが、わたしの好きな小説のひとつに、『小説 吉田学校』があります。
 文庫本で八部のシリーズものでして、戦後の第二次吉田内閣の成立から、一九八〇年(昭和五十五年)の鈴木善幸内閣までの経緯を綴った、政界大河ドラマ、です。
 憲政史研究家の倉山満氏によりますと、「この作品は、なんども劇画化されて、今でもコンビニ漫画として売られているロングセラー」でして、「それだけに影響力は大きく、学者でも、実際の政治の世界の人でも、影響を受けていない人を探す方が難しいほど」の作品です。(『政争家 三木武夫』、講談社、2016年12月20日 第1刷発行、p.70)
 その『小説 吉田学校』の第六部「田中軍団」のなかに、こんな描写があります。
 田中角栄氏が二階堂進氏に云います。
「経済がたいへんだよ、経済が……」、「一ドルが二百円の大台を割るまでになるぞ。そうなったら日本経済はますます不況におちいる」(『小説 吉田学校』第六部「田中軍団」、角川文庫、昭和五十六年五月十日 初版発行、昭和五十六年七月二十日 四版発行、p.117)
 現在はどうでしょうか。「一ドルが二百円の大台を割る」どころの騒ぎではありません。わたしの貧弱な知識でも、1ドルは100〜110円くらいになっているのです。日本経済がどうなっているか、それはみなさまがたが日々の生活をとおして、その身をもって、痛感しておられることだろうと思います。
 ですからこそ、現政府は、金融関係諸官庁、諸組織を督励して、為替レートを円安に導こうと腐心しているのでしょう。
 残念ながらその功は、いまだ現象していないようですが……。
 しかしわたしがここで述べたいのは、現政府ならびに金融諸官庁、金融諸組織の無能ぶりではありません。
 沖縄の経済です。
 みなさまご存じのように、沖縄は日本の領土です。日本の一道一都二府四十三県のうちのひとつ、ひとつの「県」です。兵庫県、青森県、島根県、福岡県、岡山県、等々とおなじ、ひとつの「県」、ひとつの自治体です。
 しかしこれまたみなさまご存じのように、沖縄「県」には、沖縄「県」独自の、他の「県」にはない歴史があります。
 他でもありません。それはかつての大戦時、唯一、連合軍の上陸を許さざるを得なかった県なのです。
 連合軍に蹂躙された沖縄は、戦後、連合軍の占領下に置かれました。
 その沖縄が日本に復帰したのは、一九七二年(昭和四十七年)のことです。
 これくらいのことは、わたしでも知っています。わたしでさえ知っているのですから、みなさまがたは、とうにご存じのことでしょう。
 日本がポツダム宣言を受諾して敗戦を認め、連合軍の支配下にはいったのは、一九四五年(昭和二十年)のことですから、沖縄は二十七年間、連合軍の占領下にあった勘定になります。これくらいの計算は、わたしにもできます。
 本土――沖縄以外の日本の領土――も連合軍の占領下にありましたが、一九五一年(昭和二十六年)のサンフランシスコ平和条約の締結、そして同条約の批准、発効とともに、翌一九五二年(昭和二十七年)には、主権の回復、独立を果しました。
 しかし沖縄は、それ以後も、連合軍の占領下に置かれたままでした。
 サンフランシスコ平和条約の発効時を起点として計算しましても、沖縄は二十年間、連合国軍の占領下に置かれていたことになります。それくらいの計算は、わたしにもできます。
 二十年と云えば、生まれた子どもが成長して、無事に成人式を迎える歳月です。
 その二十年間が、はたして長かったのか、短かったのか、それはわたしには判りません。
 とまれ、その二十〜三十年にわたって、沖縄は、連合軍の占領下に置かれていました。
 そしてその間、沖縄における為替レートは、1ドル=120円でした。
 当時の日本本土の3倍の円高です。これくらいの計算は、わたしにもできます。
 1ドル=360円の円安為替レートが、奇蹟と云われた日本の高度成長に大きく資したことは、いまや、ある種の“神話”、“都市伝説”、と、なっています。
 経済の発展にはさまざまな要因が複雑に絡み合っていますので、1ドル=360円の円安為替レートが、日本の高度経済成長に資した、とは、一概には云えないかも知れませんが、それでも大きな要因のひとつになったであろうことは、否めません。
 1ドル=360円の円安為替レートが、日本の高度経済成長の大きな要因となった、と、しますれば、それでは、1ドル=120円の為替レートに固定された沖縄の経済は、どうだったでしょうか。
 それだけを単純に見ますれば、その経済成長は、1/3にしかならなかったでしょう。それくらいの計算は、わたしにもできます。
 高度経済成長の頃、昭和の昔、多くの男たちは会社勤めに粉骨砕身し、「モーレツ社員」、「企業戦士」などと呼ばれました。多くの女たちは、専業主婦として、そんな夫たちを支えました。
 そんな時代、夫は家庭内にあって、「一家の大黒柱」と呼ばれ、あたかも国家における専制君主の如き観を呈していました。
――だれのお蔭で食っていけてると思ってるんだ。
 現在ならば爆笑を誘うそんな言葉が、笑い話にならずにすんだ時代でした。
 当時は、子どもたちはもとより、成人女性でさえ、現在とは比較にならないほど、就業の門戸が狭く、独立して生計を立てることなど、思いもよらない時代でした。
 平成も終ろうとしている現在、二十一世紀もその五分の一を閲した現在でさえ、女性がひとりで子どもを育て、立派に成人させることが難しい時代です。
 昭和の頃なら、なおさらでしょう。
 働きたくても働けない、女手一つで子供を育てようと思っても育てられない、そんな時代であり、そんな社会環境でした。
 沖縄は、単純に為替レートだけで見ても、本土の1/3に抑えられ、その経済発展も、阻害されました。
 そんな沖縄は、米軍基地に依存しなければ、とても立ち行かなかったでしょう。
 日本も米国も、沖縄の経済を締めあげ、米軍基地の存在に依存しなければ、立ち行かないように仕向けました。そして現在でもなお、そう仕向け続けています。
 あたかも、女性が一人で独立して生計を維持していけるだけの環境を整えず、男性に依存しなければ生計を樹てられないように仕向けているように。
 女性が男性に依存しなければ生計を樹てられない、と、云う意見に、多くの異議が寄せられるであろうことは、いかに愚鈍なわたしでも解ります。
 そんな女性ばかりではない、女手一つでも、立派に子どもを育てている女性もいる、なるほど、もっともです。
 わたしの周囲にも、そんな女性は多くいらっしゃいます。
 しかし考えて見てください。女性が男性に依存しなければ生計を樹てられない、そんな社会だからこそ、いわゆるシングル・マザーの問題がクローズ・アップされ、その救済策が検討されているのではないでしょうか。
 女性がひとりの人間として独立できず、男性に依存しなければその生存を維持できない、それは女性に対する侮蔑であり、そうあらしめている社会は、なんと、遅れた、貧しい社会ではないでしょうか。
 男性の側からしますと、女性が独立して生計を営めないようにしておいて、
――俺が食わせてやってるんだ。
 などと、そんなところでしか、男性としての値打ちを誇示しえないなどとは、なんと情けないことでしょうか。
 沖縄に対しても、おなじようなことが云えます。
 先述しましたように、日本も米国も、米軍基地に依存しなければ、沖縄の経済が立ち行かないように仕向けました。
 そうしておきながら、沖縄の人たちが、米軍基地反対、を、掲げますと、
――でも、基地のお蔭で生活できてる人もいるんだから。
 などと、ほざきます。
 “基地のお蔭で生活できている”のではありません。
 “基地に依存しなければ生活できないように仕向けられている”のです。
 それはまさに、女性から独立して生計を樹てる手段を奪っておきながら、
――だれに食わせてもらってると思ってるんだ。
 と吠えている昭和の親爺の姿を思わせます。
 さいわいなことに、平成も終ろうとしている今日、二十一世紀もその五分の一を閲した今日、
――だれに食わせてもらってると思ってるんだ。
 などと云う言葉を吐く親爺は、嘲笑の的になっています。
 同様に、
――そんなこと云っても、基地のお蔭で生活できてる人もいるんだから。
 などと云う言葉を吐く奴輩も、嘲笑の的になるでしょう。
| Mac | 気まぐれなコラム | 16:49 | - | - |
マヨネーズの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、緑黄色野菜のガーリック・サラダ


緑黄色野菜のガーリック・サラダが、近所のスーパーで買ってきたものであることは、云うまでもない。
緑黄色野菜の文字に、鋭く反応するようになった。「〜%引き」、「割引」の文字とともに、スーパーのラヴェルで反応する日本語ベスト5に、かならず入る。おなじ野菜と云っても、いわゆるふつうの生野菜サラダよりも、緑黄色野菜のサラダのほうが、はるかに好みである。栄養面、健康面から覧じても、緑黄色野菜のほうが、はるかにいいのではないだろうか。
さて、今週はすっかり手抜きになってしまった。気を引き締めて、来週は通常に戻らねばならない。“Back to the Normal”である。
とは云っても、大したことはしていないのだが、その大したことすらできない、しない、していない、と、云うのは、問題である。
そんなわけで、今日から3月。例年に比べて、春の訪れも早いような気がする。
みなさまにおかれましても、愉しい週末をお過ごしくださいますように(^_^)/
また来週も、よろしくお願いいたします
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:38 | - | - |
マヨネーズの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、みかん


今日は“マヨネーズの日”であるらしい。
音楽をつうじて知り合った、麗しき女性に教えていただいた。
しかし、なぜ今日が“マヨネーズの日”なのかは、ご存知なかったようだ。
Wikipediaによると、“1925年3月9日にキユーピーが日本ではじめてマヨネーズを製造・販売し、日本初の「1」にちなんだことから”制定したのだそうである。
要は“日本ではじめてマヨネーズを製造・販売し”た3月と、“日本初の「1」にちなん”で、3月1日にしたわけだ。
3月9日そのものにしないところが、素直ではない。
1925年と云えば、大正14年である。
梶井基次郎の「檸檬」が同人雑誌『青空』の創刊号に掲載され、ツタンカーメン王の墓が発見され、トロツキーが失脚し、ムッソリーニが独裁を宣言し、2年前に解散させられた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が再建された年である。
日本では加藤高明内閣のときである。
以前の話だが、世には“マヨラー”なる種族が存在していて、どんな料理にでもマヨネーズをかけないと気がすまない、どんな料理でもマヨネーズをかければ食べられる、それどころか、マヨネーズそのものを、そのまま食することを好む者さえいる、とのことである。
他人様の趣味嗜好をどうこう評するつもりは毛頭ないが、わたいの感覚からすると、おぞましい、としか、表現のしようがない。
マヨネーズが嫌いなわけではないが、ほとんど使わない。
ご存知のかたはご存知だろうが、生野菜サラダにも、マヨネーズはかけない。ポテト・サラダや、マカロニ・サラダなど、マヨネーズを使った料理も料理らない。ご覧のように、茹で卵にも、マヨネーズはかけない。ブロッコリにもかけない。それでもなぜか、冷蔵庫には、小ぶりのマヨネーズが置いてある。なぜあるのか、我ながら不思議である。
ただ最近、からし入りのマヨネーズは、重宝するようになった。休日の朝や夜食に、ハムチーズトーストを料理るためである。
6枚切りの食パンにからし入りのマヨネーズをかけてハムを1枚のせ、その上から、とろける(とろけなくてもいい)チーズを被せて、トースターで焼くのである。簡便にして、なかなか美味しい。最近のお気に入りである。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
マヨネーズともケチャップとも、醤油ともソースとも縁のない、いたって簡素簡略な、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:35 | - | - |


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