『三つ数えろ』と云う映画がある。
1946年製作。監督はハワード・ホークスで、主演がハンフリー・ボガートとローレン・バコールの名コンビ。レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』が原作で、脚本のひとりにウイリアム・フォークナーが名を連ねている。
映画の邦題が『三つ数えろ』で、本のほうは『大いなる眠り』、原題はどちらも同じ、“The Big Sleep”である。
名作のつねで(?)、この映画にもさまざまなエピソードがある。
有名なところでは、原作もそうだが、映画のほうもプロットが複雑で、あるときボガートが、結局、運転手を殺したのはだれなのか、監督のハワード・ホークスに訊ねた。
ホークスも分からず、脚本家たちに訊ねたが、彼らにも分からない。
ついには電報で原作者のチャンドラーに問い合わせることになった。
返ってきた電報には――、
「すまない。ぼくにも分からない」
と、記されていた。
と、云うのである。
“運転手を殺したのはだれなのか?”
この問題をめぐってのエピソードにはもうひとつあって――、
ボガートが趣味のヨットを愉しんでいたところ、近くをとおりかかったヨットから声がした。
――よう、いったいだれが、あの運転手を殺したんだい?
ボガート答えて曰く、
――俺が知るもんか!
探偵が殺人犯を知らない、と云う、アメリカ風のユーモアであろう。
この映画に関するさまざまなエピソードのなかで、ハードボイルド・ファン、あるいはボガート・ファンにとって、忘れられないエピソードがある。
それは――、
自作『大いなる眠り』が、ハンフリー・ボガートの主演で映画化されると聞いて、チャンドラーは、
「そいつはいい。ボガートは拳銃を持たなくてもタフでいられる男だ」
と、喜んだ。
――と、云うものである。
ハンフリー・ボガートと云えば、“ハードボイルド”と云う言葉が、人間の形をとって現われてきたような俳優である。
沢田研二氏の歌を借りて云えば、“ピカピカのキザ”であり、“やせ我慢が粋に見える”俳優である。
ボガートの魅力は、悪役をブッ倒すときよりも、悪役にブッ倒されるときにこそ、発揮される。
愛を勝ち得たときよりも、愛を失ったときにこそ、その魅力は輝く。
“ハードボイルド”と云うと、暴力沙汰と拳銃とセックスとに満ちあふれた物語と思っている人たちが、いまだに存在しているのは困ったものである。
この『三つ数えろ』のなかに、好きな場面がある。
ボガート扮する私立探偵フィリップ・マーロウが、チンピラにしたたかにブチのめされて、路上に気を失う。意識を取り戻したボガートは、路面を這いつくばりながら、帽子をさがす。
ブザマで、カッコわるい場面である。
しかしそれが、ボガートが演っているとなると、これがカッコいいのである。なんとも云えず、カッコいいのである。
ブッ倒されて路地にへたばり、女にフラれて涙をこらえ、しかもなおかつ、それがカッコいい……。
男と生まれたからには、そんな男に、なりたいものである。
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