ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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金平糖さん
♪コンペトさん コンペトさん
うちのコンペトさんは困ります
いつも涙をポ〜ロポロ♪

こんな唄がむかしあった。
同級生たちにこの唄を歌われながら、しきりに調戯われ、いじめられていたのが、幼き日の黒澤明監督であった。
幼き日の黒澤監督は、泣虫でいじめられっ子だった。
意外に思うだろう。
黒澤監督と云えば、“世界のクロサワ”である。その作風は豪快無比、雄大荘重、ダイナミックで、まさに“男性映画の黒澤”と呼ばれるにふさわしい。
その黒澤監督が、幼少の頃とは云え、泣虫でいじめられっ子だったとは……。
監督御自身が、なにかのインタヴューで語っておられた。
「ぼくは泣虫ですよ。いまでも泣虫ですよ。ぼくのシャシン(映画)観てもらえれば分かるでしょう?」
分からない。
黒澤監督の映画を拝見すれば、それはどう観ても、骨太の、いかにも男くさい映画ではないか。
しかし、と、思った。
黒澤監督は文学にも造詣が深く、なかでもシェークスピアとドストエフスキーを無類に尊敬しておられた。
そのドストエフスキーについて黒澤監督は、
「あの人(ドストエフスキー)はすごく優しいんだよね。ぼくらの優しさってさ、悲惨なことがあると、思わず目をそむけちゃうでしょう? だけどあの人は、それをまっすぐ見つめるんだよね。悲惨なことから目をそむけず、まっすぐにそれを見つめるんだよ。とめどなく涙をながしながら、ね。そこが凄いとこだよね」
また監督はご幼少の頃、関東大震災に遭遇され、その翌日、お兄さんに連れられて、震災直後の瓦礫の町を歩かされたそうである。
倒壊した家屋、ビルディング、死屍累々と積み重なる屍体の山……。
そんな光景から思わず目をそむけると、
「明、よく見るんだ。怖いものから目を逸らそうとするから怖いんだ。よく見れば、世の中に怖いものなんてあるものか」
そう云って、怒られたそうである。
なるほど、と、思った。
黒澤さんの映画には、たしかに、そう云うところがある。悲惨なことから目をそらさず、まっすぐにそれを視つめて、その悲惨さを克服しようとする勁さがある。
自分が泣虫であることを認めることはつらい。だれだってつらい。自分は勁いと思いたい。
しかし、泣虫である自分を誤魔化して、自分は勁いんだと虚勢を張るよりも、自分が泣虫であることを認めて、そんな自分を改造しようとする志にこそ、本当の勁さがあるのではなかろうか。
自分が泣虫であることを受け入れる勁さ、そんな自分を克服しようとする勁さ、悲惨なことから目をそむけず、それを事実として受け入れようとする勁さ……。
黒澤さんの映画には、そんな勁さがみなぎっている。
| Woody(うっでぃ) | 気まぐれなコラム | 02:34 | - | - |


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