2014.03.16 Sunday
金平糖さん
♪コンペトさん コンペトさん
うちのコンペトさんは困ります いつも涙をポ〜ロポロ♪ こんな唄がむかしあった。 同級生たちにこの唄を歌われながら、しきりに調戯われ、いじめられていたのが、幼き日の黒澤明監督であった。 幼き日の黒澤監督は、泣虫でいじめられっ子だった。 意外に思うだろう。 黒澤監督と云えば、“世界のクロサワ”である。その作風は豪快無比、雄大荘重、ダイナミックで、まさに“男性映画の黒澤”と呼ばれるにふさわしい。 その黒澤監督が、幼少の頃とは云え、泣虫でいじめられっ子だったとは……。 監督御自身が、なにかのインタヴューで語っておられた。 「ぼくは泣虫ですよ。いまでも泣虫ですよ。ぼくのシャシン(映画)観てもらえれば分かるでしょう?」 分からない。 黒澤監督の映画を拝見すれば、それはどう観ても、骨太の、いかにも男くさい映画ではないか。 しかし、と、思った。 黒澤監督は文学にも造詣が深く、なかでもシェークスピアとドストエフスキーを無類に尊敬しておられた。 そのドストエフスキーについて黒澤監督は、 「あの人(ドストエフスキー)はすごく優しいんだよね。ぼくらの優しさってさ、悲惨なことがあると、思わず目をそむけちゃうでしょう? だけどあの人は、それをまっすぐ見つめるんだよね。悲惨なことから目をそむけず、まっすぐにそれを見つめるんだよ。とめどなく涙をながしながら、ね。そこが凄いとこだよね」 また監督はご幼少の頃、関東大震災に遭遇され、その翌日、お兄さんに連れられて、震災直後の瓦礫の町を歩かされたそうである。 倒壊した家屋、ビルディング、死屍累々と積み重なる屍体の山……。 そんな光景から思わず目をそむけると、 「明、よく見るんだ。怖いものから目を逸らそうとするから怖いんだ。よく見れば、世の中に怖いものなんてあるものか」 そう云って、怒られたそうである。 なるほど、と、思った。 黒澤さんの映画には、たしかに、そう云うところがある。悲惨なことから目をそらさず、まっすぐにそれを視つめて、その悲惨さを克服しようとする勁さがある。 自分が泣虫であることを認めることはつらい。だれだってつらい。自分は勁いと思いたい。 しかし、泣虫である自分を誤魔化して、自分は勁いんだと虚勢を張るよりも、自分が泣虫であることを認めて、そんな自分を改造しようとする志にこそ、本当の勁さがあるのではなかろうか。 自分が泣虫であることを受け入れる勁さ、そんな自分を克服しようとする勁さ、悲惨なことから目をそむけず、それを事実として受け入れようとする勁さ……。 黒澤さんの映画には、そんな勁さがみなぎっている。 |