ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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『荒野の七人』論〜2.国境の町
 長老の意見にしたがって、三人の村人たちが国境の町にやって来ます。
 彼らはそこで、インディアンの埋葬をめぐるトラブルに遭遇します。

※ 現在では「ネイティヴ・アメリカン」と云う呼び方が一般的なようですが、本論では映画のなかでの呼び方にしたがって、「インディアン」と表記します。

 死んだインディアンが、インディアンであると云うだけの理由で、町の墓地への埋葬を拒否されているのです。
 北米大陸における、アングロ・サクソンを主とした白人の入植者や開拓者たちと、先住民族であるネイティヴ・アメリカン、いわゆる「インディアン」との戦いは有名です。
 アングロ・サクソンを主とした開拓者は、武力や策略をもってインディアンの土地を奪い、自分たちの所有とすることを繰り返しながら、その勢力を伸ばしていきました。
 その過程で、幾多の激しい戦いが生じました。
 インディアンは、自分たちの土地と部族共同体に根ざした生活を、開拓者の理不尽な強奪から守るために抵抗しました。あるいは、奪われた土地と生活を奪い返すために、開拓者の村落や町を襲撃することもありました。無理無法に先祖伝来の土地を強奪され、生活を破壊され、その生命すら脅かされるのです。必死に抵抗し、奪われた土地と生活を奪い返そうと懸命になりました。
 開拓者にとってインディアンは、未開の地に住む野蛮人でした。自分たちとは、文化も、生産力も、生活様式もまるで違うインディアンを、開拓者は、自分たちと同じ人間とは見做していませんでした。彼らはインディアンをその土地から駆逐して、自分たちの共同体を築き、自分たちの産業を興し、自分たちの支配を確立することが、天命であると信じていました。インディアンの抵抗は、その天命に反する行為であり、その達成を阻む障害でした。インディアンの抵抗を排除し、これを制圧することは、開拓者にとってみれば、当然の行為でした。
 両者の衝突が度重なり、その激しさが増すにつれ、互いに対する憎悪の感情が生じ、蓄積され、増幅していきます。
 「敵対者」としての相手に対して蓄積され、増幅された憎悪の感情は、それが蓄積され、増幅されるにつれて、相手を「民族全体」と捉えてのそれに変化していきます。
 両者の衝突が開拓者の圧倒的な勝利に終り、インディアンがその土地から駆逐され、狭い指定保留地にその生活の場を制限されたり、開拓者の社会に同化させられたりするようになっても、長年にわたって蓄積され、増幅された感情は、容易には解消しません。
 開拓者の町ができると、たとえそこに埋められているのが、人殺しや盗人や無頼漢の類ではあっても、白人が埋められているのと同じ墓に、インディアンが埋められることは拒否されます。
 しかし、産業の発展につれて交通手段が整備拡充され、物資の流通とともに人々の往来も盛んになると、それらを基盤とした新しい生活様式が生まれ、広がっていくようになります。旧来の商工業や流通の在り方、それに基づく生活様式や価値観、既成の秩序や伝統、習慣などは、産業の発展につれて新たに形成される生活様式や価値観などによって破壊され、駆逐されていきます。その力は、生活の全般にわたって強力な作用を及ぼし、諸々の変化を生じさせます。
 西部開拓時代は遠い過去のでき事となり、開拓やインディアンとの戦いに功あった人々は、英雄として、その事績とともに神話化されていきます。開拓時代のでき事や人物は、実際のでき事や人物と云うよりも、空想上の、物語の世界のでき事や人物のように印象されるようになり、インディアンに対する憎しみや侮蔑の感情も和らいでいきます。
 町の葬儀屋も、いつかは死んでお客になると思えば、インディアンだ、白人だ、と云っていられなくなります。
 旅回りの行商人ならなおさらです。死んで墓に入るのにさえ、インディアンの白人のと云っている感覚は理解できません。大陸の各地を訪れ、あちこちで、その形態は違いながらも、同じように生じつつある新たな変化を実体験として見聞することを繰り返すうちに、その新たな変化に相応した感情が生じます。死者を葬ってやるのは人間としてのつとめと信じ、道の真ん中に放り出されたままでだれも引き取る者がいないのならば、自腹で葬ってやろうとします。
 一方で、産業の発展は、それにともなって生じる諸々の変化に順応できない人たちの利益を容赦なく侵害し、破壊していきます。それは多くの場合、ジワジワと浸透していく形で、拡がっていきます。自分たちの利益を侵害され、破壊されつつある人たちも、自分たちの利益が侵害され、破壊されつつあることを、明確に意識しているわけではありません。それは隠微な形で、彼らに影響を及ぼします。それに対して彼らは、漠然とした不安や苛立ち、反感などの感情を抱きます。それらの感情は、明確には意識されないにせよ、自分たちの利益を侵害し、破壊する力に対して、自分たちの利益を保持しようとして生じる感情です。それが、旧来の秩序や伝統、習慣などを固守しようとする、保守的な感情となって表れます。
 産業の発展にともなって生じる新たな変化が、生活上の諸々の場面、とりわけ人々の意識に、よりはっきりとした形で現れてくるにしたがって、保守的な人々の反発も、より深刻に、より頑固になっていきます。
 そのような人たちは、町ができたときからの慣習をかたくなに守り、たとえ埋められているのが人殺しや盗人や無頼漢の類ではあっても、白人が埋められているのと同じ墓にインディアンを埋葬することを拒否します。そのためには、銃をとり、武力に訴えることも辞しません。
 町の人たちは、そのことを、日々の生活の中で、感じ取っています。保守的な人たちに同調するつもりもなく、心情としては彼らに反発を感じていたとしても、文字どおり生命を賭けてまで、対抗しようとはしません。そうするだけの利害関心は、まだ生じていません。
 そのような町では、インディアンがいきなり死体になって転がり出てきて、道の真ん中で埃をかぶったまま二時間近くも放ったらかしにされているのに、見て見ぬふりで知らん顔をされるのも、そのインディアンの死体を運ぶべき霊柩車の馭者が逃げ出してしまうのも、充分に理解できることです。
 葬儀屋は、インディアンであることを理由に墓場への埋葬を拒否されると、仕方がないと諦めて、葬式を取り止めます。行商人にその理由を問いただされても、云いづらそうに口ごもって、なかなかその理由を云おうとはしません。馭者が逃げる気持ちも理解できますし、探すまでもなく、代わりの馭者が見つかるはずはないと確信しています。
 行商人には、町の人たちが感じるような深刻な感覚は理解できません。馭者が逃げたと聞くとそれを臆病として嘲笑し、探せば代わりの馭者が見つかると思います。
 行商人と葬儀屋のやりとりを、クリスの声が中断します。
 クリスが馭者の代わりを申し出、ヴィンが護衛を引き受けます。
 ふたりとも、流浪のガンマンです。
 クリスはダッジ・シティから、ヴィンはトゥームストーンから、この国境の町にやって来ました。
 ダッジ・シティは、その秩序の乱れた無法ぶりから「悪徳の町」と云われ、ワイアット・アープやバット・マスターソンらの保安官が名をあげたことで有名な町です。トゥームストーンは、ワイアット・アープ兄弟とクラントン一家との争い、いわゆる「OK牧場の決闘」が行なわれたところとして、これまた有名な町です。
 それら二つの町が、二つながら、のんびりした平和な町になり、ガンマンがボロ儲けのできる町ではなくなったことが、二人の会話から分かります。
 産業の発展とともに、交通手段が整備拡充され、流通が促進されるにつれて、西部の町にも多くの富が集積されるようになり、西部の町自身、しだいに治安の維持や防衛のための力を整備拡充していくようになります。西部の町が、町としての組織を整備し拡充して、治安の維持や防衛のための力をつけるにつれて、カルヴェラたちのような山賊はメキシコの寒村への略奪へと追いやられ、クリスやヴィンのような流浪のガンマンは、ボロ儲けのできる機会が得られなくなっていきます。
 争い事が少なくなり、また争い事を事務的に処理する組織が整備されるにつれて、職と生活を保障される一握りのガンマンが生ずるとともに、そこからあぶれた多くのガンマンは流浪を余儀なくされ、流浪の生活が定着するようになります。
 ダッジ・シティやトゥームストーンのような町ですら、のんびりした平和な町になった西部地域に、もはや流浪のガンマンがありつける仕事はありません。むしろ、発展が遅れ、治安の悪い国境付近の町のほうが、仕事にありつける機会が、まだ残っています。
 クリスやヴィンがこの国境の町にやって来たのにも、カルヴェラたち山賊がメキシコの寒村を襲うようになったのと同じ「必然」があります。
 クリスやヴィンが「この」国境の町にやって来たのは「偶然」ですが、この「国境の町」にやって来たのは「必然」です。
 クリスとヴィンが、それぞれ、霊柩車の馭者と護衛を引き受けようと申し出たとき、葬儀屋は、霊柩車がインディアンの埋葬に反対する町の人たちによって壊されるのを懸念しますが、野次馬のなかから、壊されたら弁償しようと云う人たちが次々と現れます。
 野次馬たちのほとんどは、旅暮らしのカウボーイと思われる人たちです。彼らも行商人と同じく、旅から旅への暮らしのなかで、行商人と共通する感性を形成しています。撃ち合いになりかねない危険を冒してまでも、インディアンの埋葬に手を貸そうとはしませんが、インディアンであることを理由に墓場への埋葬を拒否することには反撥を感じます。インディアンを町の墓場に埋葬しようとする二人の男の行為に対して、自分たちもなんらかの形で参加したいという衝動が生じ、その衝動が、霊柩車が壊されたら弁償すると云う行動で現れます。インディアンであることを理由に、その死体を町の墓場に埋葬することに反対する人々に対して、嫌悪や反撥を抱く感性の人々が、発展の遅れたこの国境の町にすら、多くやって来るようになっています。
 インディアンを納めた棺が無事墓場に入ると、野次馬の中の一人の若者が帽子を岩に叩きつけて快哉を叫び、クリスとヴィンに馭者を任せることを心配していた葬儀屋も喜んで、
「俺のおごりだ。みんな、飲んでくれ!」
 と、金を握っていた手を突き上げます。

※ 葬儀屋が握っていた金(もし馬車が毀されたら弁償すると云って、みなが出し合った金)を、近くの男が無愛想にひったくるところが、一種のユーモアになっています。思いもしない成功に、みなが感激しているときでも、金の事に冷静な、およそ西部の男のイメージとは相反する行動が、笑いを誘います。

 みんなの心がひとつになります。みんなが、インディアンが無事に町の墓場に埋葬されたことを、顰蹙しながらも打破することができなかった慣習が打ち破られたことを、心から喜んでいるのです。
 エルマー・バーンスタインの雄壮な音楽が鳴り渡り、雄大な西部の景色を背景にして、馬車は町へと疾駆していきます。いかにも西部劇らしい、爽快な一場面です。
 クリスとヴィンの活躍によって、インディアンの棺は、無事墓地に納められました。
 町へ戻ったクリスに、行商人が歓喜の面持ちで近づいてきます。彼はポケット壜を差し出し、一杯飲んでくれと勧めます。クリスは礼を云って一口飲み、壜を行商人に返します。行商人は感激して、しきりに話しかけます。
「久しぶりで興奮したね。こいつは孫の代まで語り継がにゃ。まずフローラに話してやるんだ。まあ、本気にゃすまいがね」
 クリスは黙って聞いています。ヴィンもその様子を、面白そうに眺めています。二人とも、自分たちはそんなに大したことをしたわけではないと思っています。
 行商人の喜びも、クリスにとっては大仰なだけです。
 ヴィンは、ライフルを返すときに、「いいものを見せてもらった」と云う男に対して、「大したことじゃない」と、苦笑します。
 発展の遅れた国境の町ですら、このような撃ち合いは滅多に見られず、話だけでは信じられないものになっています。
 行商人が馬車に乗って姿を消した後、クリスとヴィンはしばらくその場に残ります。
 稼ぐあてはあるのかと訊ねるクリスに、ヴィンは、雑貨屋の店員か酒場の用心棒ならなんとかなるだろうと答えます。
 若いヴィンには、拳銃の腕前で生活の糧を得ることに対するこだわりはありません。かつてはガンマンの稼ぎ場だったダッジ・シティやトゥームストーンのような町ですら、のんびりした町になり、国境の町ですら、撃ち合いは珍しいものとなっています。ガンマンが銃の伎倆で生活していける時代ではなくなりつつあります。インディアンを墓場へ運ぶ途中で見せたような、建物の二階から狙撃してきた者を瞬時に返り討ちにするだけの腕前を持ちながら、雑貨屋の店員や酒場の用心棒におさまるぐらいしか、ガンマンが生活の糧を得る手段はなくなってきています。ヴィンはその事実を、素直に受け入れています。

 宿に戻ったクリスを、三人の村人たちが訪ねてきます。
 彼らはクリスを信頼できる人と見込み、自分たちに代わって、銃を買ってもらおうと頼みに来ました。幾世代にもわたって、その生涯の大部分を農作業や家畜の世話に費やし、銃を必要とする機会のない生活を繰り返してきた村人たちには、銃は無縁のものでした。彼らが銃を必要としたのは、度重なるカルヴェラの略奪に耐えかねて、これと戦うことを決意したためです。それまで銃と無縁に暮らしてきた村人たちには、銃の買い方が分かりません。そこで、だれか信頼できる人に頼んで、銃を買ってもらおうというのが、村人たちの考えです。
 クリスは最初、村を守るための仕事を依頼されたのかと思い、そう云うことなら保安官に申し出るように云います。町や村などの治安維持や防衛のためには、保安官と云う職業が確立されています。雇われて町や村を守るガンマンたちの出番はなくなっています。
 村人たちも保安官には相談しました。しかし保安官にしてみれば、いつ来るか分らない山賊を待って、村に駐留し続けるわけには行きません。カルヴェラたちは、保安官がいなくなるのを待ってから村を襲えばいいだけの話で、何の解決にもなりません。
 保安官に頼んでも無駄だということが、クリスにも分かりました。
 クリスは村人たちの話を聞き、銃を買うよりガンマンを雇ったほうが安くすむとアドバイスします。
 国境の町には、仕事にあぶれたガンマンたちが集まってきています。そこでも多くのガンマンたちは仕事にありつけず、なんとか仕事にありつく機会をうかがっています。
 ガンマンたちの雇用賃金の多寡も、他の仕事と同じく、根本的にはその伎倆の巧拙にではなく、労働力商品の市場における需要供給のバランスによって決定されます。いまやガンマンの労働力は、供給過剰に陥っています。
 村人たちはクリスを誘いますが、クリスは「人のために尽くすようなガラじゃない」と、断ります。
 クリスも、インディアンが、インディアンであると云うだけで、墓場への埋葬を拒否されることに対して、「浮かばれんな」と、批難の意を表します。
 しかし、クリスにとっては、葬儀屋と行商人の言い争い自体が、大袈裟でバカバカしいものです。反対する人々を押し切って、インディアンを墓地に埋葬することなど、クリスにとっては、「大したこと」ではありません。
 行商人の喜びや称賛も大袈裟に思われるだけで、まともに取り合う気にもなりません。村人たちに、「あんたは信頼できる人だ」と云われても、なんのことか分からず、とまどうだけです。
 村人も、無償で引き受けてもらおうと思っているわけではありません。できるだけの礼はすると申し出ます。
 毎日食べさせるし、村にあるものを全部出し合った、これでなんでも買える、と、村人は云いますが、その額は微々たるものです。
 クリスはその額にではなく、村人たちが、「あるものを全部出し合った」ことに心を動かされます。
「全部出されたのははじめてだ。この商売で、な」
 ガンマンの需要が減少し、仕事を求めて発展の遅れた国境付近の町に流れてきても、そこにもガンマンを必要とするような仕事はほとんどありません。
 もはやその存在を必要とされなくなりつつあることを、クリスは厳しい体験によって感じつつあります。
 クリスがその存在を必要とされ、大金を稼いでいたときでさえも、「あるもの全部」を出されたことはありません。それがいま、その存在が必要とされなくなりつつあるときに、「あるものを全部出し合っ」てまで、その存在を必要とする人々が現れました。
 自分が必要とされなくなりつつあることを感じつつあるクリスは、報酬の額よりも、「あるものを全部出し合った」ことに心を動かされるように、その感性が変化しています。
 村人たちは、「山賊さえいなくなれば、自分たちの村はとてもいい村になる」と信じています。「いまのままでは、自分たちは我慢できても、子どもたちがかわいそうだ」と、その思いを訴えます。
 村を本来あるべき「いい村」にし、子どもたちが幸せに暮らせる村にしたいという切実な思いが、村人たちの言葉に表れています。村人たちは、村を本来あるべき「いい村」にし、子どもたちが幸せに暮らせる村にする責任を──たとえ明確にではないにせよ──感じています。
 クリスは村人たちの切実な思いを知って彼らの力になろうとしますが、その前に、戦いに対する村人たちの覚悟を確認します。
 戦いの過酷さを実感できない村人たちの覚悟がどれほどのものかは怪しいものですが、村人たちは現在の自分たちの状況の中で生じる限りの誠意と覚悟を示します。
 この段階では、それ以上のことを求めても無理です。戦いの過酷さを、戦った体験のない村人たちに実感させることはできません。
 しかし、たとえ不充分でも、村人たちの「覚悟」は、確かめておかなければなりません。
 一度戦いを始めたら、殺し合いが続きます。何度も何度も、カタがつくまで、殺し合わなければなりません。そしてその殺し合いには、村の連中みんなが、心をひとつにして協力し、参加しなくてはなりません。村人たちは、たとえそれが実感できなくても、言葉のうえだけの、表面上の理解だとしても、それを認めなければなりません。それを認めることが、クリスの云う「覚悟」です。
 村人の覚悟を確かめると、クリスは、やれるだけのことはやってみよう、と、請け負います。ただし、自分が村を守る仕事に参加するかどうかはまだ決めず、とりあえず人を集めることだけを引き受けます。
 村人は、この町ならみんな銃をもっている、すぐに見つかるだろうと云います。
 それに対してクリスは、問題は銃を持っているかどうかではなく、銃を使う「人間」だと教えます。
 たしかにこの国境の町には、多くのガンマンが流れ込んできています。この町では銃はズボンのようなもので、だれもがそれを身につけています。
 ただ、銃はズボンとは違って、見栄えよく身につけているだけでは問題になりません。それを使いこなす伎倆の巧拙が大事です。
 銃を扱う「人間」の良し悪し、その伎倆の巧拙をどうやって判断するのか、村人たちには分かりません。
 クリスは自信たっぷりに、任せておけ、と云って、宿を出ます。
| Woody(うっでぃ) | 『荒野の七人』論 | 10:30 | - | - |


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