ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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『荒野の七人』論〜14.逆転した立場
 クリスたちは包囲されています。各家にはカルヴェラの手下たちが配され、窓からは銃口がクリスたちを捉えています。
 とっさのことに、クリスたちは反撃のしようがありません。チコだけが反撃しようとしますが、カルヴェラの警告に思いとどまります。
 カルヴェラはソテロに手引きされ、何の苦もなく、村を掌握しました。形勢は逆転しました。クリスたちの命は、すでにカルヴェラの手中に握られています。
 カルヴェラは、クリスたちを殺すことなく、銃を取り上げたうえで、村から追い出そうとします。クリスたちを殺してしまえば、その事実を聞きつけた彼らの仲間たちが報復にやって来て、不毛な殺し合いになるであろうことを危惧しているのです。
 カルヴェラがこの村を狙うのは、できるだけ争いを避けて、自分たちが生きるために必要な物資を得るためです。ここでクリスたちを殺しても、カルヴェラにとっては何の意味もありません。むしろ余計な面倒を惹き起こしかねません。必要な物資を与えて追い出してしまえば、クリスたちは二度とこの村に戻って来ないだろうと、カルヴェラには思われます。
 カルヴェラには、自分たちにとってこそ、生活に必要な物資を安易に得ることのできる重宝な村だが、クリスたちのような伎倆に優れたガンマンたちにしてみれば、さして魅力のある村ではない、と、思われます。
 村は貧しく、その村を守るにしても、その労苦に見合うだけの報酬が提供できるはずもありません。
 カルヴェラはクリスたちが再びこの村に戻って来ることはないと確信しています。村人たちの協力が得られなくなった以上、クリスたちに勝ち目はありません。危険を冒してまで村に戻ってくるほどの理由は考えられません。
 カルヴェラがクリスたちの銃を取り上げるのは、自分の優位を村人たちに確認させ、自分に対する反抗が無駄であることを思い知らせるためです。そのことをクリスにささやき、銃は後で返すと約束します。
 クリスは銃をはずし、他のガンマンたちもそれに倣います。
 チコだけが、カルヴェラを撃とうとしますが、クリスにさえぎられます。
 カルヴェラは、クリスのような伎倆の優れたガンマンが、なぜこんな割に合わない仕事を引き受けたのか、不思議に思います。
 クリス自身にも、ハッキリとは分かりません。あるいは説明しても、カルヴェラには理解できないでしょう。クリスは自分の気持ちをハッキリと説明できないこと、仮に説明できたとしても、カルヴェラには理解できないことを、理解しています。あるもの全部を出し合ってまで自分を必要としてくれる人たちに報いようとする気持ちは、それを引き受けたクリス自身にすら、理解できないものです。まして、国境付近の寒村を、自分たちの生活を保持するための略奪場所としか考えないカルヴェラには、クリスの気持ちが理解できようはずもありません。ヴィンが云うように、そのときはそれでいいと思った、と云うのが、もっとも正確な答えでしょう。

 クリスとヴィンが、宿舎に入ってきます。クリスは黙ってテーブルに腰を下ろします。
 クリスは、もはや自分たちガンマンが必要とされるような仕事がなくなりつつあることを、その厳しい生活によって、肌で感じさせられています。村人たちはそのクリスを、あるもの全部出し合って、雇いました。交通が未発達で、産業の発展からはずれているメキシコの寒村は、切実にクリスを必要としました。しかしいまクリスは、ガンマンとして、依頼された仕事を果たすこともできず、自分を必要としていたはずの寒村の人々からさえも、不要な人物として排除されました。
 ヴィンは、生まれてはじめて用心棒に雇われたとき、情は捨てろときつく云われた体験を引き合いに出して、クリスに、もっと割り切って、村のことは考えないように勧めます。村人たちに対する情を捨てられないのが、クリスの問題だと見ているのです。
 クリスは、自分がどんな気持ちだろうと、ヴィンには関係がないと思っています。クリスは自分の感情を、あくまで自分のものとして、処理しようとしています。
 ヴィンはクリスの気持ちを理解しています。その理由をヴィンは、自分も同じ罠にかかったからだ、と、説明します。
 ヴィンは、村に来たときから、銃で生きていくことをやめ、土地を手に入れて、牛でも飼おう、用心棒あがりの男でも、それぐらいのことはできるだろう、と、考えていました。
 ヴィンも、ダッジ・シティやトゥームストーンでさえのんびりした町になってしまった現在、すでに自分たちガンマンが必要とされるような仕事はなくなりつつあることを感じ取っています。
 そんななか、自分たちを必要とし、一緒に敵と戦おうとする寒村でなら、銃ひとつで生きる生活とは縁を切って、農民として生きていけるかも知れないという期待が生じました。
 ガンマンとしての生活を捨てるのは、容易なことではありません。ガンマンとしての生活に馴染めば馴染むほど、本人の意志とはかかわりなく生じる絶え間のない争いから抜け出すことが困難になります。クリスたちの命を奪った結果としてカルヴェラが危惧するように、あるいは、リーがすでにその影に怯えているように、本人の望まない不毛な殺し合いが続きます。
 村人たちに依頼された仕事とは云え、カルヴェラたちを相手に村を守るには、村人たちが体験したこともなく、想像すらできないような殺し合いに、村人たちを巻き込まざるを得ません。その殺し合いは、片がつくまで、徹底して行われなくてはならないのです。たとえその戦いに勝利して村を守り得たとしても、村人たちに喜ばれ、同じ共同体の仲間として受け入れられるとは思えません。村人たちにしてみれば、ガンマンはやはり、災いのもとでしょう。
 それを分かっていながら、この村で農民として暮らすことを考えたヴィンは、そう考えたことを、「罠にかかった」と表現しています。
 ヴィンは、その罠にかかった自分を自嘲するかのように、「バカ」と表現し、その「バカ」は、なにもおまえひとりじゃないんだよ、と云って、別室に退きます。
 ソテロに、村を出て行くよう云われたときもそうでしたが、ヴィンは、ともすればひとり沈みがちになるクリスを、さりげなく支える役割を果たしています。

 オライリーが荷物をまとめている部屋へ、三人の子どもたちが入ってきます。
 子どもたちは自分たちも一緒に連れて行ってくれるよう頼みます。
 子どもたちは、もうこの村が嫌いになった、父さんたちは弱虫だ、と、云うのです。
 カルヴェラたちとの戦いは、村の人たちに大きな影響を与えました。
 カルヴェラたちに屈従するのは、カルヴェラたちと戦う以前の状態に戻るだけのように思われます。しかし、いったんカルヴェラたちとの戦いを体験した村人たちの意識は、以前とは大きく変化しています。
 子どもたちにも、その変化は生じています。以前の状態に戻ることを選択した大人たちを、子どもたちは「弱虫(cowards)」と感じ、村で暮らし続けることを拒否する感情が生じています。
 それまで平静を装っていたオライリーは、いきなり子どもたちを叱りつけます。
「二度とそんなことを云うんじゃない、親父さんたちは弱虫じゃない。
 俺は銃を持ってるから勇気があるのか? 
 俺と違って親父さんたちには大きな責任があるんだ。おまえたち子どもや、お袋さんに対してだ。
 よく覚えとけ。
 その責任て云うのは、岩のように重いんだ。親父さんたちは、死ぬまでそれを背負って歩かなきゃならないんだ。こんなことをするのは、おまえたちを愛しているからなんだぞ。それが分からないのか。
 俺にはとてもそんな勇気はない。畑を耕して、毎日毎日、ロバのように、暗くなるまで働いてるんだ。これこそ勇気がいる。
 だから意気地なしの俺にはできないんだ。たぶん死ぬまで、な。
(Don’t you ever say that again about your fathers because they are not cowards.
You think I’m brave because I carry a gun?
Your fathers are braver because they carry responsibility. For you, your brothers,sisters,and mothers.
This responsibility is like a big rock that weighs a ton.
It bends and twists them until buries them under the ground.
There’s nobody says they have to do this
They do it because they love you and they want to.
I have never had this kind of courage.
Running a farm working like a mule every day with no guarantee
Anything would ever come of it
This is bravery.
That’s why I never even started anything like that.
That’s why I never will.)」
 映画史に残る名台詞です。
 子どもたちは、銃を取って敵と戦うことが、勇気のいることであり、勇敢なことだと考えています。
 オライリーはその考えを否定し、家族の生活を維持していくため、日々の苦しい労働に黙々と耐えていることに、勇気や勇敢さを認めています。
 かつては「メキシコとアイルランドのつまらん混血」である自分を否定して、「ベルナルド」ではなく「オライリー」と名のって生きてきた彼が、いまではメキシコの農民である村人たちの生き方を認めるようになっています。
 村の大人たちには、それぞれの家族に対して責任があります。家族のために、衣類や食糧、住まいを確保し、安全を守り、生活を維持し、子どもたちを育てていかなくてはなりません。村の大人たちにとっては、村を家族が安全に暮らせるように維持することが第一で、カルヴェラたちと戦うか、屈従するかは、二の次です。
 オライリーは村人たちの選択を認め、自分の生き方を否定します。
 オライリーは、自分の生き方が、他人に対して責任を持つことができない生き方であることを認め、そんな自分を「意気地なし」と評します。
 オライリーはヴィンと違って、この村で農民として生きることを考えたりはしません。ガンマンとしての生活の中で、他の職で生きる能力を失ってしまっていることを、オライリーは感じ取っています。ガンマンとして無用無価値の存在となりつつあることを感じながらも、銃を捨てて生きることができないのが、オライリーの「意気地なし」の意味です。

 別の部屋では、リーが身支度を整えています。相変わらず、一分の隙もない洒落た服装ですが、その腰に銃はありません。いまや銃のない腰に手をやるリーの表情は複雑です。
 リーはカルヴェラによって、怯えて気が狂いだすか、自分より早く撃てる男の弾を受けるかを、ただ待つだけの生活に終止符を打つことができました。
 それは、恐怖との戦いに勝利した結果、もたらされたものではありません。カルヴェラによって、自分の敗北が確定されてなお、命を助けられ、村から放逐されることで、ガンマンとしての生活から排除される機会を得たためです。恐怖との戦いを惹き起こす生活から排除されることによって、恐怖との戦いそのものが消滅したのです。
 それは、ガンマンとして無力無能を証されたことです。
 リーの複雑な表情には、そのような意味があります。

 仕度を終え、村を去ろうとするガンマンたちに、カルヴェラが得意気に云います。
「国にはもっと割りのいい仕事があるだろう。牛を盗んだり、銀行や列車からかっぱらったり、それで敵と云えば、ケチな保安官だけだ」
 カルヴェラは自分たちを寒村の略奪に追いやった「世知辛い世の中」が、クリスたちから「もっと割りのいい仕事」を奪っていることに気付いていません。
 牛や銀行や列車を守っているのは、もはや「ケチな保安官」などではなく、装備も組織も整った自衛力、警察力です。それがカルヴェラの云う「世知辛い世の中」になったことです。
 カルヴェラは、
「一度テキサスの銀行を襲ったら、軍隊をごっそり送り込んできた。軍隊だぞ、たかが銀行ひとつで。腹が小さいよ。同じテキサス野郎にしか盗ませない気なんだ」
 と、笑います。冗談のつもりなのでしょうが、銀行ひとつ襲っただけで軍隊が送り込まれてくる世の中になったことは、カルヴェラたちにとっても、クリスたちにとっても、笑い事ではありません。
 それは両者にとって、生活の手立てを奪われる世の中になってきたことを意味します。軍隊が相手では、カルヴェラたちも歯が立ちません。軍隊が銀行の護衛を引き受けるようになると、クリスたち流れ者のガンマンが雇われることもなくなります。
 カルヴェラはそれに気付いていません。そのためカルヴェラの優越感が、より空虚で、愚かしいものに感じられます。
 無反応なクリスたちに、カルヴェラは笑いを止め、別れを告げます。
| Woody(うっでぃ) | 『荒野の七人』論 | 09:25 | - | - |


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