2014.04.09 Wednesday
男は黙って……
むかし、「男は黙って……」と云うCFがあった。
“世界のミフネ”が豪快にビールを飲み乾して云うこのセリフは、その当時ばかりでなく、かなり後々まで使われた。 人間が古いせいか、九州で育ったためか、どうも自慢話と云うものにはついていけない。 とくに、男の自慢話は聞き苦しい。 数々の武勇伝、ケンカ自慢にヤンチャ自慢、どれだけ酒に強いか、どれほど女にモテたか……。 とある有名人をつかまえて、 「まだアイツが売れてない頃さ、とある飲み屋でケンカになったことがあってね。 アイツが酔ってからんできやがったんだ。 ボコボコにしてやったよ。 アイツ、いまでこそ売れてエラそうなこと云ってるけど、なに、あんなヤツ、大したヤツじゃないよ」 「いまもうそんなに飲まないけどね、むかしは一升瓶の一本くらい、毎日のように空けてたもんさ。 いまでも飲もうと思えば飲めるよ。 俺は飲めないんじゃない、飲まないだけさ」 「卒業式のときなんか、裏の塀乗り越えて逃げたよ。 だって、裏門にも女の子たちが張ってたからね。 ひとりにでも捕まったら大変さ。みんなが押し寄せてきて、もみくちゃにされるんだから。 実際、学祭のときなんかひどかったよ……」 確かめようのないことは、なんとでも云える。 逆に、確かめようがないから、否定のしようもない。 否定しようとしても、「嫉んでる」、「やっかんでる」、「自分がそうじゃないからって……」などと、嘲われるのがオチである。 そのことをよくわきまえているから、通常の判断力を具備している人は、たとえそれが事実だとしても、そんな自慢話はしない。 そんな自慢話をすること、それ自体が、いかに恥ずかしいことか、どれだけ自分を辱めることかを、感性で理解している。 古代ローマの時代、有力者たちの間で自分の銅像を建立することが流行った。 そのとき大カトーは、 「自分の銅像を建てるよりも、人に『なぜカトーの銅像はないのだろう』と思われたい」 と、述べたそうである。 自分で自分の功績をひけらかすよりも、自分ではなにもしなくても、おのずから自分の功績が認められるようになりたい、と云うことだろう。 中国には、 「桃李不言、下自成蹊(とうりものいわざれど、したおのずからけいをなす)」 と云う諺がある。 「蹊(けい)」とは、小道のことである。 「桃や李(すもも)はなにも云わないが、その美しい花や美味しい果実によって人をひきつけ、その下には自然に道ができる。そのように、心根の正しく美しい人は、弁舌をもってしなくても、その心根を慕って、自然に人が集まってくる」 と云うほどの意味である。 司馬遷は「『史記』李将軍伝賛」中にこの諺を引いて、李将軍の人となり、その心根を称賛した。 男は黙って、大カトーや李将軍のような人物になりたい、と、思うのは、あながち自分が、九州育ちの古い人間だから、と云うばかりではないだろう。 |