2014.06.09 Monday
山村新治郎と云う政治家を……
山村新治郎と云う政治家を知っていますか?
1970年(昭和45年)3月31日、日本航空351便、通称“よど号”が、9人の赤軍派によってハイジャックされました。 日本で初めての航空機ハイジャック事件です。 そのとき“よど号”には、コックピットクルー3名、CA4名、乗客122名の、計129名が搭乗していました。 犯人たちは北朝鮮への亡命を希望していて、板付空港(現在の福岡空港)で人質の一部(女性・子供・病人・高齢者を含む23人)を解放しましたが、この機体は国内便であると云う機長の説得にも耳を貸さず、平壌への飛行を命じました。 日韓両政府の画策によって、機体は韓国の金浦国際空港に着陸し、ここを北朝鮮の平壌国際空港に擬して犯人たちを捕縛しようとしますが、犯人たちはこの偽装工作を見破り、膠着状態におちいりました。 日韓両政府が大いに対策を講じるなか、当時運輸政務次官の地位にいた山村新治郎氏は、 「政務次官と云うものは、盲腸みたいなものだ。あってもなくてもかまわない。下手にあれば、迷惑をかけることさえある」と云い放ち、「こんなときに役に立てないで、なんの政治家か」 と、云って、犯人たちと交渉。みずから志願して人質となることで、他の人質を解放させました。 この快挙は、 「男、ヤマシン」 「身代わり新治郎」 として、世の称賛を浴びたものです。 その山村新治郎氏は、1992年(平成4年)4月12日、精神疾患を患っていた次女(一説によると、精神疾患を患っていた身寄りのない娘を、養女として面倒見ていたのだと云います)に、出刃包丁で刺し殺されました。 その訃報に接したかつての“よど号ハイジャック事件”の首謀者田宮高麿は、 「『日本の政治家のなかにも、こんな人がいたのか』と、思われるような、すばらしい人でした。 突然の訃報に接し、悲しみを堪えきれません。 ご冥福をお祈りいたします」 との言葉をささげました。 敵(?)からも一目置かれる人でした。 「政治家なんて、ろくなヤツはいない」 と、云うあなた。 山村新治郎と云う政治家を、知っていますか? |