2014.06.09 Monday
チャンドラーの『プレイバック』を……
チャンドラーの『プレイバック』を読み返そうと思ったのは、
「タフでなくては、生きていけない。やさしくなくては、生きている資格がない。」 と云う名台詞が出てくるのが、この本だからである。 もっとも、正確に云えば、それだけが理由ではない。 最近、このセリフに関して、ある疑問が生じてきたからである──と、云えば、なにやら大仰であるが、なんのことはない、このセリフは、とある女性に、 「あなたのようにタフな男がどうしてそんなにやさしいの?」 と、問われて、返した言葉である。 この問答にはさまざまな日本語訳があって、それぞれで微妙なニュアンスの違いがあるのだが、原文では、 “How can such a hard man be so gentle?” と、問われて、 “If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I coudn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.” と、答えている。 これだけを見てみると、マーロウは自分がタフであることも、やさしいことも、認めていることになる。 いささか自惚れめいていて、マーロウのキャラクター・イメージに合わないのである。 で、今回、読み直してみることにした。 マーロウはとある女性を尾行し、行き先を突き止めて報告するよう、依頼された。 その女性はどうもいわくありげで、なにかに怯えているようである。 彼女は孤立無援で、巨大ななにものかから逃れようとしているらしい。 マーロウは依頼を無視して、彼女の力になろうとするが、彼女はマーロウを信じず、却って、彼を利用して自分の目的を達しようとする。 それでもマーロウは彼女を助けようと努める。 そしてすべてが明らかになったとき、彼女が問い、マーロウが答えるのが、先のセリフである。 今回読み返してみて思ったのは、マーロウは自分がタフであると認めているのでもなく、まして、やさしいと自惚れているわけでもなく、ただ、「タフでありたい」、「やさしくありたい」と願っているだけなのだな、と、云うことである。 「タフでなくては、生きていけない」からこそ、否でも応でも、タフであろうとし、「やさしくなくては、生きている資格がない」からこそ、やさしくなろうとしている。 このタフさが、たんなる肉体上の持久力や腕力などではないことは、云うまでもない。 そして、このやさしさが、たんなる柔弱さや甘さなどではないことも、また然り、である。 「タフさ」と「やさしさ」は、一見矛盾しているように思われる。 実際、この女性には、タフな男がなぜやさしいのかが分からない。 しかし、一見矛盾しているように思われる「タフさ」と「やさしさ」は、マーロウのなかでは、全然矛盾していない。 「タフさ」とは、どんなに裏切られ、利用され、嘲弄され、無視されても、やさしくあろうとする心性であり、「やさしさ」とは、どんなに裏切られ、利用され、嘲弄され、無視されても、決して恨みがましく思わず、それに耐え抜くタフさなのだ。 真実やさしくあるためには、タフでなくてはならないし、タフであることのなかには(少なくとも、マーロウにとっては)、やさしくあらんがためのものが、ふくまれているのである。 |