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デカルトとベーコン
cogito,ergo sum(我思う、ゆえに我有り)――デカルトの有名な命題である。
この命題は、「思考」と「存在」の同一を表現したもの、と、思われている。
しかしそれは間違いで、この命題の重要な点は――、
「思考“する”」と「存在」の同一、つまり、“運動”がすなわち“有”である、と、云うことを、表現したところにある。

多くの人々が指摘しているように、“cogito,ergo sum”の“ergo”は不要である。
“cogito”は“sum”と同じであり、“ergo”による接続を必要としない。
“cogito”はすなわち“sum”であり、“sum”はすなわち“cogito”である。
デカルトによって、思惟の働きこそが根本存在(有)であることが、明確になった。
思惟こそが有であり、思惟の働きこそが有の動きであり、思惟の働きすなわち有の動きこそが、哲学の対象である。

デカルトから、近代哲学が始まる。
この命題によって、思惟による思惟の把握、と、云う、哲学の根本が明確にされた。


同じ頃、ヴェルラムのベーコンは、感覚による事物の把握に重点を置き、実験を重視した。
人間が対象を把握するのは感覚によってであるが、感覚は不確かで、対象の把握に際して、誤ちを犯すことが少なくない。その誤りを正し、精確に対象を捉えるためには、実験が重要である、と、ベーコンは考えた。

実験こそが、感覚による事物の把握に確実性を与える、実験によって、感覚が事物の把握に際して陥る誤謬を排除し得る、と、考えたのである。

ベーコンによって、自然哲学に新たな道が拓り開かれた。
自然哲学は発展し、自然科学となった。
ベーコンの功績は、自然哲学であったものを、自然科学へと発展させる道程を拓り開いたことによる。
自然の事物や現象を対象とする学を哲学から切り離したことが、――少なくとも、そのきっかけをつくったことが、――ベーコンの哲学史上における偉大な功績である。

哲学の対象から自然が分離され、思惟は自分自身がつくりだしたものを対象とするようになった。
さらに思惟は、自分自身でつくりだしたものをも、自分自身から分離して、個々の学問、科学として、確立していくようになる。
すなわち、国家組織の在り方(国家学)、国家統治の手法(政治学や法律学)、芸術による表現(芸術学、美学)、さまざまな人間の営み(歴史学)、信仰心(宗教学)、心の働き(心理学)、等々、である。
現在われわれが社会科学、人文科学、自然科学の名のもとに総括しているあらゆる学問分野が、哲学から分離された。
そして残ったのが、思惟とその働き、それ自体を対象とする学、哲学である。


| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 11:38 | - | - |


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