2015.03.31 Tuesday
男女七歳にして……?
『虞美人草』のなかに、主人公の小野さんが、京都から上京してきたかつての恩師父娘を、博覧会に案内する場面があります。
その様子を、たまたま藤尾たちに目撃され、後日藤尾に、遠回しに責められるのですが、そのくだりで、漱石は次のように書いています。 「若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵とはいわせぬ。」 おや? と、思いませんか? 明治期に、若い男女が連れ立って歩く、しかもそれが「当世である」と、云うのには、意外の感をおぼえませんか? 『三四郎』にも、団子坂の菊見に行った美禰子と三四郎が、野々宮君や広田先生とはぐれ、二人で郊外を散歩する様子が描かれています。 我々は(少なくとも、わたしは)、明治の人たちは、「男女七歳にして席を同じゅうせず」の教えを受けて育ったもの、と、思っているのですから。 しかしどうやら、それは誤解であったようです。 明治の御世は、現在我々が想像するよりも、よほど自由で、のびのびした時代だったようです。 黒澤明監督が仰っておられました。 「(黒澤監督のデビュウ作『姿三四郎』の)あの魅力って、なんだと思う? えっ? あれはね、明治の、あの明るさなんだよ。明治の頃のあの明るさが、あの作品の魅力なんだよ。明治の頃って云うのは、ほんとに明るい、のびのびした時代だったんだよ」 司馬遼太郎氏は、幕末から日露戦争にかけて、日本が成長発展していった時期を描いたご自分の作品に、『坂の上の雲』と云う題を付されました。 “明治”と云う時代は、まさに日本が、“坂の上の雲”に憧れ、“坂の上の雲”にたどり着くことを目指して、ひたすらに坂を登って行った、そんな時代だったのでしょう。 |