ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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Sketch(走り書き)と云うよりは……?

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男女七歳にして……?
『虞美人草』のなかに、主人公の小野さんが、京都から上京してきたかつての恩師父娘を、博覧会に案内する場面があります。
その様子を、たまたま藤尾たちに目撃され、後日藤尾に、遠回しに責められるのですが、そのくだりで、漱石は次のように書いています。
「若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵とはいわせぬ。」
おや? と、思いませんか?
明治期に、若い男女が連れ立って歩く、しかもそれが「当世である」と、云うのには、意外の感をおぼえませんか?
『三四郎』にも、団子坂の菊見に行った美禰子と三四郎が、野々宮君や広田先生とはぐれ、二人で郊外を散歩する様子が描かれています。
我々は(少なくとも、わたしは)、明治の人たちは、「男女七歳にして席を同じゅうせず」の教えを受けて育ったもの、と、思っているのですから。
しかしどうやら、それは誤解であったようです。
明治の御世は、現在我々が想像するよりも、よほど自由で、のびのびした時代だったようです。
黒澤明監督が仰っておられました。
「(黒澤監督のデビュウ作『姿三四郎』の)あの魅力って、なんだと思う? えっ? あれはね、明治の、あの明るさなんだよ。明治の頃のあの明るさが、あの作品の魅力なんだよ。明治の頃って云うのは、ほんとに明るい、のびのびした時代だったんだよ」
司馬遼太郎氏は、幕末から日露戦争にかけて、日本が成長発展していった時期を描いたご自分の作品に、『坂の上の雲』と云う題を付されました。
“明治”と云う時代は、まさに日本が、“坂の上の雲”に憧れ、“坂の上の雲”にたどり着くことを目指して、ひたすらに坂を登って行った、そんな時代だったのでしょう。
| 築山散作 | 気まぐれなコラム | 08:00 | - | - |


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