2015.09.12 Saturday
三木武吉3
五人もの妾を持ちながら、武吉は生涯、かね子さんへの愛情を保ち続けた。
妾たちも、かね子にはかしづいていた。 「およそ大政治家たらんものはだ、いっぺんに数人の女をだ、喧嘩もさせず嫉妬もさせずにだ、操っていくぐらいの腕がなくてはならん」 と、武吉は強弁していたものである。 総理に就任した途端、愛人にその出会いから落籍の経緯、二人の生活まで週刊誌に暴露されたり、官房長官に就任するや、愛人に口止め料を払って信用を無くしたりするような政治家は、およそ大政治家たるの資格はない、と、云うことだろう。(吾人の感覚からすれば、大政治家たる以前に、“オトコ”としての資格もない、と、思うのだが) 三木夫妻は戦中戦後の時期、武吉の故郷高松や小豆島で暮らしていた。 その頃病弱になっていたこの一歳年上の妻の面倒を、武吉はよくみた。常に傍に付き添い、なにくれとなく気を配った。 その様子を目の当たりにした土地の人々は、 「まったく、三木先生ほど情愛の深い人はいない。あの様子を見ていると、私たちも家内をいたわらなければいかん、という気になる」 と、口々に言い交わしたものである。 |