2015.09.13 Sunday
食事の時間
幼少時、食事の時間が苦痛だった。
主な理由は二つあって、一つは偏食がひどかったのである。 なにしろ、イカ、タコ、エビ、カニ、肉、が、まったくダメで、それらがちょっとでも入っていると、食べられなかった。 剥き蝦が入っているだけで炒飯が食べられず、肉じゃがもカレーもダメ、すき焼き、水炊き、とんかつなど、トンデモナイ、であった。 それじゃあ、キライなものだけ除ければいいじゃないか、と、云うと、そうもいかなかった。 それが入っていた、と、思うと、もうそれだけで、その他のものも食べられない。 例えば、肉じゃがから肉だけ除ければ、他のものは食べられたかと云うと、それがそうはいかない。 肉のにおいや味が染み込んでいて(少なくとも、そのような気がして)、他の食材も――じゃがいもも、糸こんにゃくも――食べられなかったのである。 だからすき焼きなぞでも、肉さえ食べなければいいじゃないか、と、云うわけにはいかなかったのである。 第一、そんな生易しい親ではなかった。おかずの選り好みなどしようものなら、怒声とビンタが飛んでくる。 現在なら親も先生も、キライなものなら無理して食べなくていい、と、云うだろう。 給食にキライなおかずが出て、それをムリヤリ食べさせようなどとしたら、その先生は処罰されるだろう。 しかし昔は、と、云うと変だが、わたしの幼い頃は、親も先生も、そんなに寛大ではなかった。 偏食はワガママと見做され(現在にして思えば当然なのだが)、両頬をつまんで口をこじ開けられ、押し込むようにして食べさせられたものである。 給食の時間でも、その時間中に食べ終えられず、続く昼休み、掃除の時間、さらには5時間目の授業が始まってからも、ひとり机を離されて、全部食べ終えるまで赦されなかった憶えがある。 現在なら新聞沙汰になるところである。 そんなわけで、当時は食事と云うと、拷問に等しいものがあった。 もう一つの理由は――、行儀が悪かったのである。 現在はほとんどが洋風――と、云うと、笑われるかもしれない。それほど、イスとテーブルの食卓が普通になっているのだろうが、わたしの幼い頃は、まだまだ畳の上に食卓――いわゆる卓袱台――を持ち出して食事をする、と、云うことがあった。 そんな場合、合掌して「いただきます」と、云ってから(最近は云わないようだ)、同じく合掌して「おごちそうさまでした」と云うまで(これも云わないようだ)、正坐した膝を崩してはならなかった。 ちょっとでも膝を崩そうものなら、容赦なく叩かれる。 それでは椅子とテーブルでの食事ならよかったか、と、云うと、なかなかどうして、そんな生易しいものではない。 椅子の背もたれに背中が触れると、怒鳴られる。 身体の正面とテーブルとが離れていると怒られる。 過日、ファミレスで、小学校低学年くらいの男の子が足を組んで食事している光景を目の当たりにして――もちろん、親も同席していた――、慄然としたものである。 我が家で食事中に足を組もうものなら……考えただけでゾッとする。そんな命知らずなマネは、とてもできない。およそ、考えられもしなかった。 ピチャピチャ、クチャクチャ、音を立てて食べようものなら、落雷のような怒声が降りかかってくる。 物心ついた頃から重度の蓄膿症を患っており、鼻で呼吸の出来なかった身としては、非常に理不尽な仕打ちに思えたのだが、そんな言い訳の通用する親ではなかった。あまりにその不作法が重なると、これまた容赦のない平手打ちが襲ってくる。 茶碗をわしづかみにするのもご法度だった。親指以外の四本の手を揃えて糸尻に添え、親指で茶碗の縁を支える。もちろん、その茶碗を食事中に食卓に降ろすことなど、もってのほかであった。 「味噌汁を食べる時以外、茶碗をおろすな」 と、云うのが、我が親の教えであった。 ときに、箸で打たれることもあった。自分の持っていた箸をすばやく逆に持ち替え、その箸でピシャリとやるのである。 その箸の使い方にも、小言(実感から云うと、とても、小言、などと云う、生易しいものではない。あれはまさしく、怒声、で、あった)が飛んで来る。 「それはお葬式のとき、お骨を拾うときの持ち方や」 「ちゃんと持ち」 「お箸の真ん中からちょっと上を持って……、親指と人差し指で上のお箸をもって、中指を間に挟んで、薬指と小指で下のお箸を支えて……」 親は何度も実践してみせてくれるのだが、生来不器用なわたしは、なんどやってもうまく行かない。 箸が開かず、くっついたままである。 いきおい、御飯なぞは、かきこむことになる。 すると、 「行儀が悪い」 と、怒声が降りかかってくる。 箸がちゃんと持てないと、小さなものがつかめない。 菜っ葉の端っこ、お魚の一切れ、一粒の御飯……。 「なんや、この汚い食べ方は」 と、怒られる。 「御飯一粒でも残すと、目がつぶれるんやで」 子どもながらに、そんな因果関係があるか、と、思ったが、口にするわけにはいかない。 巷間、“箸の上げ下ろしにも”と云う言葉があるが、我が家では、とても、箸の上げ下ろしだけではすまなかった。 そんな生易しいものではなかったのである。 「まったく、あんたみたいな子は……。恥かしゅうて、とても人さまの前には出されへんわ」 なんどその言葉を聞かされたことか分らない。 ただでさえ偏食がはげしくて食事がつまらないうえに、そのつまらない食事中に、のべつ幕なしに怒られ、怒鳴られ、叩かれるのである。ときには六畳の部屋の真ん中から次の部屋との敷居まで飛ぶくらい強烈に殴られ、イスから転げ落ちるほど叩かれたことも、襟首をつかんで家の外に放り出されたことも、一度や二度ではない。 祖母は信心深い人で、よく地獄極楽の話をしてくれて、また、地獄極楽のことを描いた絵本をあてがってくれたものだが、幼いわたしは、 「地獄って、御飯の時間が続くとこなんやなぁ」 と、思ったものである。 先日、とあるお店で、かまあら炊きをいただいた。 食べ終わると、 「きれいに食べはるねぇ」 と、感嘆のお声をいただいた。 「こんなにきれいに食べはる人、めったにおらんわ」 と、食べ終わったわたしの皿を、わざわざ厨房の奥にいる料理長さんにお見せして、 「ほら、こんなにきれいに食べてくれはったんよ」 料理長さんもわざわざ厨房の奥から出てきてくれて、 「こんなにきれいに食べていただいて、ありがとうございます」 丁寧に頭をさげてくださった。 こちらは恐縮するやら、嬉しいやら……。 美味しいお食事をいただいて、そのうえ食べ方まで褒めていただいたのは、おそらくはじめてである。 そこで思い出した話がある。 イソップ物語にあった話である。 あるとき幼い子供が玩具を盗んできた。 母親は、怒っては子供がかわいそうだ、と思って、そのことを叱らなかった。 その子は、次々と人のものを盗むようになり、やがては大泥棒となった。 その彼もついには捕まり、死刑を宣告された。 我が子の最期をひとめ見ようと処刑場にやって来た母親に向かって、息子は叫んだ。 「なぜあのとき、俺を叱ってくれなかったんだ!」 この年齢なって、親に感謝する。 あのとき、俺を叱ってくれて、ありがとう、と。 |