2016.04.17 Sunday
人間五十年……
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬ者の あるべきか」
ご存じ、幸若舞曲は『敦盛』の一節です。 幸若舞曲の名句、と、云うよりも、戦国乱世の梟雄:織田信長が好んで舞ったことで、有名となっているようです。 幸若舞とは、中世芸能のひとつでして、室町後期に、桃井直詮(幼名:幸若丸)が創始した声曲で、武士の世界を素材とした物語を謡うのを特色としています。(『日本の名句・名言』、増原良彦著、講談社現代新書、1988年11月10日第1刷発行、1991年6月24日第6刷発行、p.54) この「人間五十年」と云う句を、平均寿命のように思われている方が意外と多くいらっしゃるようですが、それが間違いであることを、増原氏は同書のなかで指摘しておられます。 それはそうでしょう。考えてもみてください。室町後期、あるいは戦国乱世の頃に、平均寿命、などと云う観念が、はたしてあったでしょうか。 なるほど、経験則から、だいたいの寿命を割り出すことはあったでしょう。 それにしても、それが五十年(五十歳)とは、どう云う謂でしょうか。 ここで、信長と同時代の人たちの享年を見てみましょう。 武田信玄…53歳。 上杉謙信…49歳。 足利義昭…60歳。 豊臣秀吉…61歳。 徳川家康…73歳。 前田利家…60歳。 毛利元就…74歳。 長曾我部元親…60歳。 伊達政宗…69歳。 島津義久…78歳。 黒田官兵衛…58歳。 こうしてみますと、だいたいの平均は六十歳前後、“人間五十年”より、十年ほど、長いことになります。 それでは、この『敦盛』で云う、“人間五十年”とは、いったい、なんのことなのでしょうか。 それは、増原氏も述べておられますように、一つの区切り、一つの例えではないだろうか、と、思われます。 「人間世界の五十年は……」と、云うくらいの意味でしょう。 “下天”と云うのは、仏教界における、最下層の天でありまして、それゆえにこそ、“下天”なのでありますが、ここには、われわれにお馴染の、いわゆる“四天王”――持国天、増長天、広目天、多聞天――が住んでいる、と、云われています。 この下天の一昼夜が、人間世界では、五十年に相当するのです。 したがって、人間世界の五十年は、下天の内では一昼夜(24時間)にすぎない、まことに人の世とは、夢幻の如きものである、と、云うことで、結論としては同じであるが、、こう思ってこの句を口ずさむと、意味合いと云うか、味わいが、また、違ってくるのではないでしょうか。 |