2016.09.30 Friday
2016年9月最終日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(山葵昆布)、さば塩焼き(2切)、ブロッコリの塩昆布あえ
さば塩焼きは近所のスーパーで買ってきた惣菜である。 焼き魚は、後の手間を考えると、出来合いの総菜を買ってきた方がコスパがいい。味もそんなに悪くない、と、云うか、自分で焼く場合と、さして変わりがない。 “自分で焼く”で、思い出したが、むかし、こんな会話を交わしたことがあった。 わたい「魚は大好きなんだけど、自分で料理できないからなぁ」 女の子「〇〇さん(わたいの通り名)、お魚、料理できないんですか」 わたい「○○(その女の子の名)はできるんか?」 女の子「あたりまえですよ。簡単じゃないですか」 お解りだろうか? これは、「“魚を料理する”とは、どう云うことか」に対する観念が、その女の子と、わたいとでは、違っていた、と、云うことである。 念のために、より詳細に述べると────、 “魚を料理する” わたい:「鱗を取り、内臓を掻きだし、身を捌いて二枚もしくは三枚におろし、味付けをして、焼く(煮る、炒める、蒸す、等々)」 その女の子:「切身を焼く」 ちなみにその子の観念では、ムニエルや生姜煮や南蛮漬けや魚介スープなどを料理る場合は、“魚を料理する”とは、云わず、“〜を料理る”と、云うらしい。 |