2017.02.10 Friday
アルセーヌ・ルパンと“過労死”
アルセーヌ・ルパン、と、云えば、ルパン三世のお祖父ちゃんとして、また、怪人二十面相のモデルとして、日本では、昔からなじみの深い人物です。その物語を読んだことがない人はいらっしゃったとしても、その名前を知らない人は、おそらく、いらっしゃらないのではありますまいか。
そのルパン氏には、“盗みはしても、人は殺さない”と云ったイメージが定着しています。 たしかに氏は、『水晶の栓』と云う作品の中で、部下が人を殺したとき、「血! 血! おれが血を好かないことは知ってるだろう。血を見るよりは、殺されるほうがいい。」と、云っています。 しかし残念ながら、子供向けにリライトされた物語だけでなく、いわゆる大人本を読んだことのある方ならご存じでしょうが、後期の作品では、兇悪な犯罪を犯した犯罪者にたいして、ルパン氏は、みずから手は下さないまでも、相手を追いつめて、自殺せざるを得ないように仕向けています。 なるほど、これらの場合、ルパン氏は、みずから直接手を下していないにしても、殺人を犯した、と、批難されても、いたしかたありますまい。 2015年(平成27年)12月25日、クリスマスの日、ひとりのうら若き女性が、みずからその生命を絶ちました。 度重なる上司の叱責、2時間ほどしか寝る間のない長時間労働の毎日……。 徹夜して作った企画書を目の前で破り捨てられ、人格を否定されるような言葉を浴びせられました。 ――生きるために働いているのか、働くために生きているのか、分らない。 女手一つで自分を育ててくれた母親の苦労に報いるために、必死で勉強し、日本一の難関と云われる東京大学に合格し、電通と云う日本最大の広告会社に就職した彼女を待っていたのは、しかし、会社の“奴隷”とも云うべき、過酷な生活でした。 若き日のことを形容して、“花も実もある”と云いますが、彼女には、花も実もありませんでした。 電通と云う、日本最大の広告企業会社が、彼女の花も実も、無情に奪ってしまったのです。 マスコミは彼女の自死を、“苛酷な長時間労働によるもの”と報道していますし、いわゆる労災の認定も、それを理由に下されたようです。 しかし彼女の死の原因は、本当に、“苛酷な長時間労働によるもの”だったのでしょうか。 わたしは、そうは、思いません。少なくとも、それだけが原因だった、とも、それが第一の原因だった、とも、思いません。 マスコミに意識操作された多くの人々は、彼女が自死したのは、“苛酷な長時間労働によるもの”だったのだ、と、思うでしょう。 だからこそ、 ――俺たちの若い頃は、それぐらい当たり前だった。 ――昔の人たちは、それくらい、ふつうだった。 と、云う、時代遅れの、“精神主義”、“根性主義”が、正当化されます。 また、おなじような境遇にある人たちも、 ――俺たちだって、おなじような立場にあるんだ。 ――わたしたちだって、おんなじように働いてるわ。 と、云う、わたしのいわゆる、“奴隷根性”に染まってしまいます。 彼女の自死の原因は、“苛酷な長時間労働によるもの”と云うよりも、陰湿陰険な手段を用いてなされた仕事の強要――いわゆるパワハラ――にあった、と、思います。 彼女は、会社によって、殺されたのです。 なるほど、表面上は、自殺だったのでしょう。 しかし、その本質は、会社による、“殺人”です。 それが理解できないからこそ、マスコミをはじめとして、内閣員、政府官僚、果ては労働組合までが、“長時間労働”を問題視しているのです。 無能と云われる所以です。 無能であるからこそ、“過労死”などと、表現されるのです。 彼女の死は――彼女のみならず、同様の理由により自らその生命を断った多くの人々の死は――、けっして、“過労死”ではありません。 それは、“会社企業による殺人”です。これはれっきとした、“殺人事件”、犯罪事件なのです。 これからは、“過労死”ではなく、“会社殺人”、“企業殺人”と、書いてもらいましょう。 受け取る側は、“過労死”と書かれていれば、それを“会社殺人”、“企業殺人”と、読み換えましょう。 |