2017.03.31 Friday
開国の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、ポタージュ・スープ、野菜ジュース、バナナ
1854年の今日(嘉永7年の3月3日)、日米両国間に和親条約が締結され、1639年(寛永16年)から215年の長きにわたって続いた我が国の、いわゆる“鎖国”体制は、ここに終焉を迎えた。 「我が国の」と云うのは、いわゆる“鎖国”体制、“鎖国”政策が、なにも我が国独自のものではなく、他国においても類似の政策が採られ、類似の体制にあった場合があるからである。 また、「いわゆる“鎖国”」と云うのは、近年、「制度としての“鎖国”はなかった」と云う主張が、大勢を占めつつあるからである。 今回の教科書検定に際して、「“聖徳太子”の名称が消える」と云う報道に並んで、「鎖国はなかった」と云う報道が行われたことは、みなさんもご記憶に新しいことだろう。 Macによると、歴史研究の場合には、当時は意識もされず、またそのような名称もなかったにもかかわらず、当時からそのような意識があり、そのような名称が使われていた、と、誤解を招くことが少なくないそうである。 なるほど、例えば、“封建制”などと云っても、当時の人々が「いまは封建時代だ」とか、「いまは封建制の下にあるから」などと考えることなど、あるはずがないのである。 Macによると、歴史研究における錯覚、危険な陥穽、であるらしい。 もちろんそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。 平成の歴史にも、21世紀の激動にも、なんらの関連もない、平々凡々たる献立である。 |