ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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開国の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、ポタージュ・スープ、野菜ジュース、バナナ


1854年の今日(嘉永7年の3月3日)、日米両国間に和親条約が締結され、1639年(寛永16年)から215年の長きにわたって続いた我が国の、いわゆる“鎖国”体制は、ここに終焉を迎えた。
「我が国の」と云うのは、いわゆる“鎖国”体制、“鎖国”政策が、なにも我が国独自のものではなく、他国においても類似の政策が採られ、類似の体制にあった場合があるからである。
また、「いわゆる“鎖国”」と云うのは、近年、「制度としての“鎖国”はなかった」と云う主張が、大勢を占めつつあるからである。
今回の教科書検定に際して、「“聖徳太子”の名称が消える」と云う報道に並んで、「鎖国はなかった」と云う報道が行われたことは、みなさんもご記憶に新しいことだろう。
Macによると、歴史研究の場合には、当時は意識もされず、またそのような名称もなかったにもかかわらず、当時からそのような意識があり、そのような名称が使われていた、と、誤解を招くことが少なくないそうである。
なるほど、例えば、“封建制”などと云っても、当時の人々が「いまは封建時代だ」とか、「いまは封建制の下にあるから」などと考えることなど、あるはずがないのである。
Macによると、歴史研究における錯覚、危険な陥穽、であるらしい。
もちろんそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
平成の歴史にも、21世紀の激動にも、なんらの関連もない、平々凡々たる献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:48 | - | - |


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