2018.01.17 Wednesday
今月今夜のこの月を……の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)
「今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」 あまりにも有名な、間寛一のセリフである……、と、云っても、21世紀も1/5を過ぎ、平成もカウント・ダウンの始まった今日では、知る人も少ないだろう。 明治期の小説家、尾崎紅葉の『金色夜叉』のセリフである。 精確には、小説『金色夜叉』を基にした芝居や映画のなかのセリフであって、原作では次のようになっているそうだ。 「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか! 再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」(Wikipediaより) 貧乏学生の間寛一は、許嫁の鴫沢宮が富豪の富山唯継に嫁ぐことになったのを激怒して、熱海の海岸で宮を問い詰め、縋り付く宮を蹴り飛ばす。 そこで寛一の口を突いて出るのが、前述の名セリフである。 ちなみにこの熱海の海岸の場面も、名場面、と、云われている。 しかし現在では、宮に如何に落ち度があろうとも、また如何に宮が腹黒かろうとも、とても寛一のようなマネはできまいし、やれば批難の矛先は、いっせいに寛一に向くであろうことは、火を見るよりも明らかである。 時代の流れ、意識の変化、と、云うものであろう。 もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。 裏切りとも罵りとも無縁の、いたって平和温和な献立である。 それはともかく、この日、寛一お宮は、熱海の宿で、どのような献立の食事を喫したのであろうか。 |