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大化の改新詔発布の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、山菜と高野豆腐の煮物、菜の花の辛子和え


646年(大化2年1月1日)、改新の詔が発せられた。いわゆる“大化の改新”である。
昔は645年が大化の改新の年、と、教えられたものだが、厳密にはこれは、乙巳の変と呼ばれるもので、いわゆるひとつのクーデターである。中大兄皇子と中臣鎌足が、専横を恣にする蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家を政治の舞台から排除したものである。
大化の改新は、そのクーデターの後に行われた政治改革のことである。
Wikipediaによると、「新たに即位した孝徳天皇は、翌大化2年(646年)正月1日に政治の方針を示し」、「豪族連合の国家の仕組みを改め、土地・人民の私有を廃止し、天皇中心の中央集権国家を目指すものであった」らしい。
「大きく4か条の主文からなり、各主文ごとに副文(凡条)が附せられていた」が、現在ではこれらの成果は、「『日本書紀』編纂に際し書き替えられたことが明白となり、大化の改新の諸政策は後世の潤色であることが判明している」と云うことである。
「だが、孝徳期から天武・持統期にかけて大規模な改革が行われたことに違いはなく、後の律令制へつながっていく王土王民を基本理念とした内容だったと考えられる」そうである。
もっともそのことと、わたいの弁当の中身とには、なんらの関連もない。
クーデターとも政治改革とも無縁の、いたって平和平凡な弁当である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |


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