2018.01.24 Wednesday
足利尊氏謀反の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、みかん(2個)
1336年(正慶4年/建武2年)の今日(旧暦12月11日)、箱根・竹ノ下の戦いで 足利尊氏が建武新政府に反旗を翻した(Wikipediaより)。 「足利尊氏の呼びかけに応じた足利軍と、後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞に参集した軍勢との間で行われた合戦」で、「後醍醐天皇が建武政権に反旗を翻した足利尊氏を討つために新田義貞を派遣したが失敗し、建武政権崩壊の第一幕となった」そうだ。 足利尊氏と云えば、室町幕府の初代征夷大将軍であるが、元は鎌倉幕府に従う武将であり、後醍醐天皇が反幕府を呼号して挙兵した際には、鎌倉勢を率いて上洛したが、やがて鎌倉方に反旗を翻し、六波羅探題を滅ぼし、鎌倉幕府の滅亡に功あった。 しかし、後醍醐天皇の開始した、いわゆる建武の親政によって、武士階級の不満が高まると、彼らに推されるようにして、後醍醐天皇から離反した。 乱世のこととは云え、よく裏切る男である。もっとも、同時期の婆沙羅大名として知られる、佐々木道誉ほどではないだろうが……。 そう云えば、みずからの親分に反旗を翻して当時の自民党最大派閥を奪取し、長らく陰の実力者として政界に権威をふるった人が、竹下とか云っていたが、この戦いの行われた地名とは、関係ないだろう。 もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とにも、なんら関連はない。 裏切りとも、権謀術数とも無縁の、いたって平和平凡な献立である。 それにしても、後醍醐天皇に反旗を翻す結果となったこの戦いの朝、尊氏はどんな食事を喫したのであろうか。 |