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『我輩は猫である』の主人公のモデルとなった猫の命日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ブルーベリー・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は、『我輩は猫である』の主人公のモデルとなった猫の命日なのだそうである。
「今日は何の日〜毎日が記念日〜」と云うWebsiteで知った。
Wikipediaによると、“主人公「吾輩」のモデルは、漱石37歳の年に夏目家に迷い込んで住み着いた、野良の黒猫”であるらしい。
この猫が亡くなったとき、漱石が親しい人たちに充てて、この猫の死亡通知を出したのは、有名な逸話である。
さらには、“猫の墓を立て、書斎裏の桜の樹の下に埋め”、“小さな墓標の裏に「この下に稲妻起る宵あらん」と安らかに眠ることを願った一句を添えた後、猫が亡くなる直前の様子を「猫の墓」(『永日小品』所収)という随筆に書き記している”そうである。
なお、“毎年9月13日は「猫の命日」である”らしい。
おそらくこの猫は、日本一有名な、無名の猫、で、あろう。
ちなみに、この猫が亡くなったのは、1908年(明治41年)のことであるから、漱石とは足かけ4年、一緒にいたことになる。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
モデルとなった猫が漱石と何年一緒にいようが、そんなこととは一切無縁の、いたって非文化、非文芸な献立である。
ところで、『我輩は猫である』の主人公のモデルとなった猫が亡くなったこの日、漱石はいったい、どのような朝食を喫したのであろうか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:22 | - | - |


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