2019.04.19 Friday
源頼朝伊豆配流の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ミックスフルーツ・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ
1160年(承安4年3月11日) の今日、平治の乱に敗れた源頼朝が伊豆に流された。本来は義朝の嫡男として死罪となるところを、平清盛の継母である池禅尼の嘆願などにより死一等を減ぜられて、伊豆の蛭ヶ小島に配流された、と、通説では、なっている。 通説では、と、云うのは、厳正な歴史考証では、これらのなかの諸点において、疑義が呈され、検証の要が唱えられているからである。 歴史事実と通説では食い違うことが多く、だいたいにして、通説のほうが面白い。逆に云えば、面白いからこそ、多くの人に無批判無条件に支持され、通説となったのであろう。 多くの人に支持されていることが正しい、とは、限らないのである。 当然、多くの人に支持されている人が、正しい人、立派な人、とも、限らないのである。 ちなみに豊臣秀吉は、小田原征伐の折、頼朝が配流されていた地を訪れ、そこに安置されてあった像を撫でながら、「御身は卑しき流人から身を起して、天下の征夷大将軍となられた。儂は卑しき百姓から身を起こして、天下の関白となった。儂ら二人を措いて、かような人物は日の本の歴史に見当たるまい」と、うそぶいた、と、云う話がある。 これなどは、通説までにもいたらぬ、真偽不明の、たんなる伝説伝承逸話、の、類であろう。 もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。 頼朝の配流にいたる経緯が史実であろうがあるまいが、猿面関白がなにをほざこうが、そんなこととは一切無縁の、いたって非歴史、いたって非学問な献立である。 |