2019.05.29 Wednesday
呉服の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、生野菜サラダ、チェダーチーズ
今日は“呉服の日”だそうである。 Wikipediaによると、”全国呉服小売組合総連合会が制定”したもので、理由は当然、“「ご(5)ふ(2)く(9)」の語呂合わせ”である。 まだまともな語呂合わせである。 最近は、呉服屋なるものを、滅多に見かけなくなった。昔は商店街のなかに、一軒くらいはかならず、と、云っていいほど、あったものだが。 和服と呉服と着物と、それぞれどう違うのか、と、思われるかも知れないが、現在ではどれも大した変りはない。 厳密に云うと、着物=着る物なので、和服であろうが洋服であろうが人民服であろうがチマチョゴリであろうが、すべて、“着物”である。 和服=和の服であり、和=日本なので、日本の服、より厳密に云えば、明治以前からの、在来の日本の服のことである。 で、呉服=呉の服のことである。この「呉」とは、“三国志”で有名な魏、蜀、呉、の、あの「呉」である。 これまたWikipediaによれば、“呉の国から日本に伝わった織り方によって作られた反物に由来し、綿織物や麻織物を意味する太物に対し、絹織物を意味する語として使われるようになった”とのことで、“。『世説故事苑』によれば応神天皇の時代に伝来した”とのことである。 いったい、和服に限らず、着物と云うものは、その国その地域の気候風土から産み出された、歴史的文化的生産物である。その国その地方の在来の着物と云うものは、その国その地方に合致しており、その存在の必然性を有している。 日本もそろそろこの辺で、無思慮無批判無思惟な、いたずらな西洋服崇拝を止め、日本古来の和服に回帰しては如何であろうか。 もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。 洋服とも和服とも呉服とも、一切関係のない、いたって非文化非歴史な、いつもどおりの献立である。 |