ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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戦後民主主義到来の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、生野菜サラダ、チェダー・チーズ


今日は“戦後民主主義到来の日”なのだそうである。
Wikipediaによると“1949年のこの日、日本の新しい民主主義の到来を謳った青春映画『青い山脈』が封切られた”ことに由来するのだそうだ。
1949年と云えば、昭和24年である。終戦から4年後のことである。
映画『青い山脈』は、映ちゃんなら観ているのかもしれないが、わたいは残念ながら未見である。
原作なら読んだことがある。散作も中学時代か高校時代に読んだことがある、と、云っていた。
藤山一郎氏の『青い山脈』は歌ったことがある。現在ではほとんど“お笑い”、“ウケ狙い”としてしか、捉えられていない。
しかしの歌が────おそらくは原作小説や映画なども──、戦後の人びとのあいだに、どのような憧れと希望を抱かせたか、に、思いを馳せるとき、ある種の羨ましさを禁じえない。食糧難、住宅難、失業、等々、重苦しい時代であったろうが、同時に、明日への希望と信頼があった。
翻って現在、食に困ることもなく、家電製品は充実し、これ以上必要な何があるのか、と、思われるほど、物資はあふれているが、一方で人心は貧窮し、荒み、腐敗している兆候が現象している。明日への希望も信頼も、瓦礫の如くに崩壊し、不安と暗澹に蔽われている。
『青い山脈』が、“お笑い”、“ウケ狙い”として捉えられているのが、発展繁栄のゆえならば、まだしも我慢できるが、爛熟退廃のゆえの失笑冷笑だとしたら、背寒きの念を禁じえない。「民主主義」に対する信頼と責任の崩壊が国をどのように導いたか、その歴史を知らぬとでも云うのだろうか。『青い山脈』を“お笑い”にしても、「民主主義」を“お笑い”にしてはいけないのである。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
山脈が青かろうが赤かろうが、民主主義を嗤おうが嗤うまいが、そんなこととは一切まったく金輪際縁のない、いたって凡俗な、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:51 | - | - |


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