2020.01.16 Thursday
日本初のアイススケート場開場の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、みかん(2個)
1876年の今日、 横浜に日本初のアイススケート場(氷すべり場)がオープンした(Wikipediaより)。 1876年と云えば明治9年である。 アイススケート・リンクの歴史は、意外と古いのである。それ以前でも、氷結した河川や湖などで、アイススケート(あるいはその原型となる遊戯)を愉しんでいたことはあったであろう。 それにしても、当時アイススケートはどれだけの人気があったのであろうか。夏目漱石の『こころ』(1914年-大正3年)には、語り手の「私」が避暑に鎌倉の海水浴場に行く描写があり、また『三四郎』(1908年-明治41年)には運動競技会の場面が描かれているが、残念ながら、アイススケートの描写はどの作品にもない。 八戸出身の小説家である三浦哲郎氏の作品には、アイススケート場が出てくる作品があるそうであるが、残念ながら、未読である。散作も読んだことがないらしい。 わたいは幼稚園児の頃、アイススケートを習っていた記憶がある。スケートリンクで、よちよち歩いたり、上手く滑ったり、派手に転んだりした記憶がある。あまり楽しかった憶えはない。 中高時代の友人で、フィギュア・スケートで国体に出場したやつがいたことを、最近になって知った。あいつ、そんな特技(?)まで、持っていやがったのか? 頭もいいし、顔もいいし、人当たりの好い、好人物である。まったく、天は、与える人間には、二物も三物も与えるものである。 もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。 アイススケートとも、アイスコーヒーとも、アイスクリームとも、愛することとも、愛されることとも、一切全くからっきし関係のない、いつもながらの献立である。 |