2020.05.21 Thursday
板垣退助の誕生日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ
今日は日本における自由民権運動の立役者、板垣退助の誕生日である。 彼は天保8年4月17日、土佐藩の上士:馬廻格・300石である乾正成の嫡男として、高知城下中島町(現・高知県高知市本町通2丁目)に生まれた(Wikipediaより)。 この天保8年4月17日が、現在の暦では5月21日になるのである。 板垣退助は幕末では土佐藩を代表する勤王の志士として、坂本龍馬とともに有名であり、戊辰戦争では東山道先鋒総督府の参謀として、また三春藩を無血開城させ、二本松藩・仙台藩・会津藩などを攻略するなどの軍功を示した。 明治維新後は参議となり、明治六年の政変で下野すると、西郷隆盛を除く他の下野参議たちとともに、民撰議院設立建白書を提出して、いわゆる自由民権運動の烽火を上げた。 自由党党首として活躍したことは世人の知るとおりであり、党勢拡大のために全国を遊説してまわっているさなかの明治15年(1882年)4月、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われ負傷し、その際に吐いたと云われる「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は、一躍有名になって、今日に伝わっている。 先日のABCラジオで、「板垣退助が岐阜で暴漢に襲われた際に口にした有名な言葉は?」との問題に、「あいたたた……」と、答えた小学生のことが紹介されていた。なるほど、真実はこちらにあるだろう。 ちなみにそのことを知人たちと話していると、「『なんじゃあ、こりゃ〜!』だったら、面白かったのにな」と、云った人がいた。 いや、板垣は刺されたのであって、撃たれたんじゃないから……。 |