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藤村操の命日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


1903年(明治36年)の今日、一人の若者が自らその命を断った。
享年16歳。当時一高の学生だった、藤村操である。
彼は前日の5月21日に制服制帽のまま失踪し、この日は栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)の旅館に宿泊した。そして翌22日、華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して投身自殺したのである。
Wikipediaによると、〝厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者は185名に上った(内既遂が40名)。操の死によって華厳滝は自殺の名所として知られるようになった〟らしい。いつの世でもマネしたがりと云うものはいるもので、江戸期にも近松門左衛門の〝心中もの〟が評判になると、心中する男女が増え、当局によって心中ものの上演が禁じられたそうであるから、作者や演者、そして淳良な聴観衆にとっては、迷惑な話である。
なお、操氏が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通りである(Wikipedia/「藤村操」より)。

巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可
解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至
る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

ちなみにこの直前、一高生の藤村氏は与えられた宿題を果たしてこなかったことを教師に問いただされ、その理由を「やりたくなかったから」と答え、きつく叱責されて教室を出て行ったと云う。
このときの教師が、夏目金之助───のちの夏目漱石である。
| ろ~りぃ | ろ~りぃの食卓 | 20:03 | - | - |


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