ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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そのときの時代を……
そのときの時代を象徴する人物と云うのが、いるものです。
前時代や後世の人たちから見れば、
「あんなのの、どこがいいの?」
と、思われても、その時代の人にとっては、まさに“神”にも似たような輝きを以て君臨する人物です。
そんな人物の一人が石原裕次郎氏であり、あるいは松田優作氏です。
氏の扮するジーパン刑事に憧れて警官になった者が少なからずいる、と云う都市伝説が、いまでもまことしやかに語られています。
とある雑誌が、日本を代表する男優のアンケート調査を行ったとき、
「おまえら全員、優作にいれろ!」
と、恫喝され(?)、あらためて氏のカリスマ性に驚嘆した、と、云う女性もいたようです。
世代が違うせいか、自分も松田優作氏に対しては、それほどの思い入れもありませんでした。
ジーパン刑事もリアル・タイムでは知りませんし、TVドラマ『探偵物語』の工藤ちゃんを後にレンタル・ヴィデオでみて、愉快の念を抱いたくらいのものでした。
氏や、氏のシンパには申し訳ありませんが、けっして、一世を風靡するような名優とは思わなかったのです。
その評価が変わったのは、『ブラック・レイン』を観たときです。
大学時代の先輩が優作氏のファンで、その先輩に連れられて観に行ったものです。
この映画での氏の演技は、まさに鬼気迫るものがありました。おとなしく、静かにしているときでも、どこか不気味で、油断のならない雰囲気を醸し出しているのです。
そして、一閃動に転ずれば、爆竹が破裂したような迫力と動きで、相手(共演者のみならず、観客をも)を圧倒する、その迫力に、文字どおり、刮目したものです。
マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、若山富三郎の諸氏と並んで引けを取らない、いな、場面によっては氏らを食ってさえいるその演技は、
「なるほど、これが松田優作の真骨頂か」
と、思わせるものがありました。
「この調子であと二、三本も出演すれば、たんなる一世代のカリスマから脱け出て、日本を代表する国際スターになるだろう」
そう思ったものです。
残念ながら、氏はこの映画の完成直後、膀胱癌で亡くなられました。
撮影前から病魔に侵されていたけれども、念願のハリウッド映画出演と云うことでそれを秘匿し、延命治療をも拒み、それゆえにあの鬼気迫る迫力が出たのだ、とも、伝えられています。
氏は若き無名の日、黒澤明監督の御門前に三日三晩土下座して、
「どうか、ぼくを使ってください」
と、懇願し続けられたそうです。
黒澤氏にしてみれば、見も知らない若い者が自分の門前で土下座している、と云うのは、さぞかし不気味に思われたことでしょう。
当時黒澤さんのお宅に同居なされていた土屋嘉男さんのエッセイに、その件のことが記されています。
三日三晩門前に土下座して、それでも色よい返事をもらえなかった優作氏は、悄然として、その門前を去りました。
そのとき氏は、胸中秘かに呟かれたそうです。
「俺はかならず、国際的なスター、“世界のユウサク”になってみせる。
 けれどもそうなっても、俺は絶対、黒澤映画にだけは出演しないぞ」
氏はそのときの無念をみごとに晴らし、“世界のユウサク”となられました。
しかし惜しむべきらくは、念願なされていた“世界のユウサク”となられた直後、他界なされました。
しかしそのことによって、氏は“永遠のカリスマ”と、なられました。
ジーパン刑事や工藤ちゃんによって、“一時代のカリスマ”となった彼は、みずからの夢を果たした『ブラック・レイン』によって、“永遠のカリスマ”となったのです。

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三木武夫が好きだと云うと……
三木武夫が好きだと云うと、
「あぁ、“クリーン三木”ね」
と、鼻で嗤われることがある。
“口先だけの評論家”、“言うことは言うが実行できない”、“キレイごとばっかりで、現実を知らない”……そう云った意味を込めての冷笑嘲笑である。
田中角栄氏に世話になった代議士が、
「田中角栄と云うと、“金権政治家”と云った単純な図式でしか考えることのできない人が多いが、そんな人たちはとても不幸な人だと思っている」
と、云ったことがある。
三木氏にしても、同じである。
三木氏を“クリーン”と云うことだけでしか評価できない人々は、好意をもってのそれにしろ、悪意をもってのそれにしろ、三木氏の本質を見切れていない、と、思うのである。
それでは、その三木氏の“本質”とはなにか、と、問われれば、それはかつて、“バルカン政治家”と称された、そのマヌーバリングの才である。
大自民党のなかでつねに小派閥を率い、それでいながら、各内閣で党の要職、内閣の枢要閣僚の座を占め続けてきた。
戦後直後の片山内閣、芦田内閣は、社会党、民主党、国民協同党の三党連立内閣であったが、社会党党首片山哲も、民主党総裁芦田均も、六十歳近く、それに比して国民協同党委員長三木武夫は、四十歳そこそこだった。親子ほども年齢の違う二人と共同し、戦後の困難な政局を切り回した。
吉田茂自由党内閣時代こそ不遇をかこったものの、次の鳩山一郎内閣においては、運輸相として入閣、短命に終わった石橋湛山内閣では党幹事長、岸信介内閣では党幹事長から経済企画庁長官、池田勇人内閣では科学技術庁長官、党政務調査会会長、党幹事長、佐藤栄作内閣では外務大臣、田中角栄内閣では副総理・環境庁長官と、小派閥、傍流と云われながらも、かならず、党や内閣の要職に喰い込んでいる。
そこに、三木氏の、言い知れぬ政治上の手腕が看て取れる。
“異能の政治家”と呼ばれた田中角栄氏ですら、
「三木をやり手の年増芸者とすれば、福田も大平も女学生みたいなもんだ。三木がプロなら、福田はアマだ。いま俺と自民党のなかで互角に勝負できるのは、三木だけだろう」
と、三木氏には、一目も二目も置いていた。
三木氏はその権謀術数、マヌーバリングの才を如実に発揮して、田中角栄氏の後の自民党総裁・内閣総理大臣の座を射止めた。
その芸術的とも云える政治的辣腕の妙は、角川文庫、毎日新聞政治部の『政変』に詳しい。
「数が力」の政界にあって、小派閥を率い、類稀なる権謀術数、マヌーバリングの才を発揮して、政界最高峰の与党総裁、内閣総理大臣の座を射止めたその才腕こそ、三木氏の真骨頂が現わされているように思われ、それゆえにこそ、「知恵の勝利」を信じてやまない吾人としては、これを称賛するのである。

政変 (角川文庫 (6596))
政変 (角川文庫 (6596))
毎日新聞政治部
| Mac | 人物往来 | 09:59 | - | - |
武人の魂
議場は緊張に包まれ、寂として声も出なかった。
賛成・反対、当初はそれぞれの立場から野次を飛ばしていた議員たちも、いまは固唾を呑んで、ふたりの応酬を見守るだけだった。
「浜田君の発言は、国民一致の精神を害するから、ご忠告を申し上げる」
そう云って壇上を降りる寺内陸相の満面は、朱を注いだように紅潮し、その声音は抑えきれぬ憤りに震えていた。

浜田君、と、寺内陸相に呼ばれたその男は、政友会所属の衆議院議員、浜田国松である。
このとき齢七十。かつては衆議院副議長を務めた長老である。
寺内陸相を激昂せしめたその演説は、このようなものだった。

「軍部は近年、みずから呼称して、わが国政治の推進力はわれらにあり、乃公出でずんば、蒼生を如何せんの慨がある。五・一五事件然り、二・二六事件然り……」

ときあたかも二・二六事件の勃発によって岡田啓介内閣が桂冠し、広田弘毅内閣が発足した直後の議会においてだった。
軍部が政治に容喙し、この広田内閣においても、軍部は二・二六事件と云う大事件を惹起しておきながら、
「二・二六事件後の粛軍については、政治家もまた自粛自戒をもって協力すべきである」
と、称して、軍部の意に添わない閣僚の就任を拒絶したいきさつがあった。
昭和天皇をして、
「朕が軍隊を私にみだりに動かし、朕が信頼せる重臣を殺戮するとはなにごとか。かかることをなすは、朕が首を真綿にて絞むるにひとしい。陸軍大臣はすみやかにこれら暴徒を鎮圧せよ。陸軍大臣に出来ぬとあらば、朕みずからがこれを平定せん」
とまで激昂せしめた事件を惹起しておきながら、それでもなお軍部は、
「あのような事件を起こしたのは悪かったが、そもそもあんな事件が起こったのは、政治家や財閥、役人たちが悪いからだ」
と云う考えだった。
増長極まれり、の感がある。

浜田氏の演説は、その軍部の専横を鋭く剔抉した。
「……独裁強化の政治的イデオロギーは、つねに滔々と軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険あることは、国民の等しく顰蹙するところである」

この浜田議員の演説に、陸相寺内氏がいきりたった。
待ちかねたように発言を求めると、
「先刻来の浜田君の演説中、軍人に対して、いささか侮辱するような言辞のあったのは、遺憾である」
と、述べた。
それに対し浜田氏は、
「いやしくも国民の代表たる私が、国家の名誉ある軍隊を侮辱した……という喧嘩を売られてはあとへはひけませぬ」
と、応じた。
寺内陸相も負けてはいない。
冒頭に引用した発言が飛び出す。
「浜田君の発言は、国民一致の精神を害するから、ご忠告申し上げる」
これに対し、浜田氏の曰く、
「……国民一致を思えばこそ、軍部の言動について、陸相にご注意申し上げたのだ」
そして、歴史に残る名言が口をつく。
「だいたい、僕がはたして、軍部を侮辱した言葉を吐いたかどうか、速記録をお調べ願いたい。もし、それがありとせば、僕が割腹して君に謝る。だがなかったならば、君、割腹せよ!」
議会史に有名な、“腹切り問答”である。

寺内陸相は直後の閣議で、
「政党を反省させるため、衆議院の解散を要求する」
と、主張して一歩も引かなかった。
他の閣僚や同じ軍人である永野修身海相の説得すら、聞かなかった。
むろん、速記録を調べて、腹を切ろうともしなかった。

浜田氏はその演説中に述べておられる。
「日本の武士というものは古来名誉を尊重します。士道を重んずるものである。民間市井のならず者のように、論拠もなく、事実もなくして人の不名誉を断ずることができるか」

真の「武人の魂」が、浜田代議士、寺内陸相のいずれに存していたかは明らかだろう。
もしこの稿を、陸軍厭悪のゆえ、浜田代議士に肩入れするような書き方をしているのだ、と、おっしゃる向きがあれば……、速記録をお調べ願いたい。割腹は求めないから、安心して楽しい
| Mac | 歴史散歩 | 08:04 | - | - |


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