2016.10.02 Sunday
伝えよう! 戦争の悲惨さ
よく標題に掲げたようなことが云われます。8月の間だけは。
世人のいわゆる“戦争の悲惨さ”なるものが、じつは“敗戦の悲惨さ”であることは、我々の仲間内では、共通理解になっていることなのですが、ここではそのことはさておきまして―――― 世人はよく、“戦争の悲惨さを風化させてはならない”、“戦争の悲惨さを子どもや孫たちに伝えなくてはならない”などとのたまいますが、まったく、お笑い草です。我々はそう云うのを指して、“偽善”と、云っています。 おや、お怒りになられましたか? よろしい。“戦争の悲惨さ”なるものを、本当に、真から、心から、孫子に伝えようと思ったら、手っ取り早い方策が、ひとつだけあります。 それは―――― 学校給食の献立を、終戦直後に、みんなが食べていたのと、同じものにすることです。 そして、学校の制服を、終戦直後に、みなが来ていた服と同じものにすることです。 できますかね? できやしないでしょう? なんだかんだ云っても、みんな言葉の上っ面だけなんですよ。 “戦争の悲惨さを語り継がねばならない”なんて、云ってもね。 先にも記しましたように、これはぼくらの仲間内では、“戦争の悲惨さ”ではなく、“敗戦の悲惨さ”なんですが、その“敗戦の悲惨さ”すら満足に伝えられないのに、“戦争の悲惨さ”を伝えられるはずなんて、あるわけありません。 ウヌボレ、自己満足、お涙ちょうだい、感情的自慰は、いいかげんにしてもらいたいものですね。 温かく美味しい給食をお腹いっぱい食べさせて、継の当たっていない小奇麗なおべべを着させて、それでなにが、“戦争の悲惨さを伝える”ですか。 戦後七十年超、日本人もジョークのセンスは、よくなったものですね。 |