2015.07.18 Saturday
ピース又吉氏、芥川賞受賞
お笑い芸人、ピース又吉氏が芥川賞を受賞して評判になっている。
読んでいないに身には、その受賞が妥当かどうか、判断するべくもないのだが、さりとて読んでみようと云う気にもならないのも、また、事実である。 なにもお笑い芸人が書いた本だから、と、云うのではない。 いったいに本と云うものは(本にかぎらないのだが)、どんな人が書いたか、などと云うものは、問題にならないものである。 お笑い芸人が書いた本であろうが、神父さんが書いた本であろうが、連続放火犯が書いた本であろうが、高校生が書いた本であろうが、書かれた内容が良いか悪いか、面白いか面白くないか、である。 だから芥川賞にしても(芥川賞にかぎらず、その他の賞でもそうなのだが)、本来必要な情報は、授賞作品名と作者名、そして授賞理由だけで充分なのである。 作者の履歴や職業など、不要である。 「お笑い芸人の書いた本など、面白いはずがない」 と、云う感想も、 「お笑い芸人が書いたのか、面白そうだ」 と、云う感想も、均しくつまらぬ感想である。 賞には権威が附随する。 「○○賞を受賞した」と云うことは、その作品がおもしろい、スバラシイ、人生の貴重な時間の幾許かを、この本を読むことに費やして充分な価値がある、そう太鼓判を押されたも同じことである。 「この本面白いぞ、読んでみ」 と、云われて、事実面白ければ、そして薦められた本が面白かった、と云う事実が、累積されればされるだけ、その人の判断は重きをなす。 賞の権威とは、そう云うものである。 ところが近年の芥川賞には、そのような権威はない。 実際、芥川賞を受賞した作家で、その後活躍し、多くの人がその人の作品が発表されるのを心待ちにし、発表されれば途端にそれを手にしてむさぼり読む、などと云うことが、起っていますかね? むしろ、昨年の芥川賞の、あるいは前回の受賞者が誰だったか、記憶にない、と、云う人が、ほとんどなんじゃないだろうか? 芥川賞の権威がなくなった、と、断ずる所以である。 だからこそ、近年の芥川賞は、話題になりそうな作品あるいは作者を選んで授賞しているのではなかろうか、と、憶測されるのである。 また、選考委員がいかに弁解しても、そう憶測されてやむを得ないものがあるのである。 ピース又吉氏の『火花』が、この後三年後、五年後も多くの人に読まれているだろうか。 過去の芥川賞受賞者のその後の活躍ぶりからして、到底期待はできないし、そんな本を読むことに時間を費やすほど、吾人はヒマではないのである。 |