ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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男は黙って……
むかし、「男は黙って……」と云うCFがあった。
“世界のミフネ”が豪快にビールを飲み乾して云うこのセリフは、その当時ばかりでなく、かなり後々まで使われた。
人間が古いせいか、九州で育ったためか、どうも自慢話と云うものにはついていけない。
とくに、男の自慢話は聞き苦しい。
数々の武勇伝、ケンカ自慢にヤンチャ自慢、どれだけ酒に強いか、どれほど女にモテたか……。
とある有名人をつかまえて、
「まだアイツが売れてない頃さ、とある飲み屋でケンカになったことがあってね。
アイツが酔ってからんできやがったんだ。
ボコボコにしてやったよ。
アイツ、いまでこそ売れてエラそうなこと云ってるけど、なに、あんなヤツ、大したヤツじゃないよ」
「いまもうそんなに飲まないけどね、むかしは一升瓶の一本くらい、毎日のように空けてたもんさ。
いまでも飲もうと思えば飲めるよ。
俺は飲めないんじゃない、飲まないだけさ」
「卒業式のときなんか、裏の塀乗り越えて逃げたよ。
だって、裏門にも女の子たちが張ってたからね。
ひとりにでも捕まったら大変さ。みんなが押し寄せてきて、もみくちゃにされるんだから。
実際、学祭のときなんかひどかったよ……」
確かめようのないことは、なんとでも云える。
逆に、確かめようがないから、否定のしようもない。
否定しようとしても、「嫉んでる」、「やっかんでる」、「自分がそうじゃないからって……」などと、嘲われるのがオチである。
そのことをよくわきまえているから、通常の判断力を具備している人は、たとえそれが事実だとしても、そんな自慢話はしない。
そんな自慢話をすること、それ自体が、いかに恥ずかしいことか、どれだけ自分を辱めることかを、感性で理解している。
古代ローマの時代、有力者たちの間で自分の銅像を建立することが流行った。
そのとき大カトーは、
「自分の銅像を建てるよりも、人に『なぜカトーの銅像はないのだろう』と思われたい」
と、述べたそうである。
自分で自分の功績をひけらかすよりも、自分ではなにもしなくても、おのずから自分の功績が認められるようになりたい、と云うことだろう。
中国には、
「桃李不言、下自成蹊(とうりものいわざれど、したおのずからけいをなす)」
と云う諺がある。
「蹊(けい)」とは、小道のことである。
「桃や李(すもも)はなにも云わないが、その美しい花や美味しい果実によって人をひきつけ、その下には自然に道ができる。そのように、心根の正しく美しい人は、弁舌をもってしなくても、その心根を慕って、自然に人が集まってくる」
と云うほどの意味である。
司馬遷は「『史記』李将軍伝賛」中にこの諺を引いて、李将軍の人となり、その心根を称賛した。
男は黙って、大カトーや李将軍のような人物になりたい、と、思うのは、あながち自分が、九州育ちの古い人間だから、と云うばかりではないだろう。
| Woody(うっでぃ) | 気まぐれなコラム | 13:49 | - | - |


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