2016.11.06 Sunday
理解できないジョーク
山口良忠と云う人がいた。
判事――裁判官だった。 終戦直後のことだった。 食糧難のその時代、山口氏は、 ――人を裁く判事の身で、どうして闇米を口にすることができようか。 と、闇米を口にすることを拒否し、妻にも闇米を買うことを固く禁じ、配給の食糧は子どもたちに与え、自分と妻は汁だけの粥をすすって暮らした。 見かねた親戚や友人たちが、食糧を送り、食事に招待したりもしたが、山口氏は、それすらも固辞なされた そうして、栄養失調で亡くなられた。 ――バナナって、どんな味がするんだろう。 ――死ぬまでに、いっぺんでいいから、バナナを食べてみたい。 そう思った、と、そんな回想を、ある一定の年齢以上の人は、かならず一度は、聞かされたことがあるだろう。 余命いくばくもない、と、悟った病人が、最後の願いとして、 ――バナナを食べたい。 と、願ったことは、当時の日本の各地で、実際に、あったことである。 学生時分、下宿の近所の定食屋が評判だった。 店は汚いが、安くて量が多かった。 自分も始終、その店のお世話になった。 あるとき、なんでこのお仕事を選ばれたのか、ご亭主にお訊きしたことがあった。 ――なに、きみたち、若い人たちには、せめて、腹一杯、飯を食べてもらいたくてな。 バナナは説明する必要はないだろうが、闇米、配給、栄養失調、これらの単語は、いまや辞書のなかの言葉となった。 給食が冷たくてかわいそうだから、と、温かいご飯を食べさせる。 お菜も、二、三種類のなかから、好きなものを選ばせる。 それでいて、 ――戦争の悲惨さを、次代に伝えていかなければならない。 ですか? ごめんなさい。その手のジョークは、私には解りません。 |