2014.06.13 Friday
中国や韓国からの……
中国や韓国からの旅行者のマナーの悪さに顰蹙している日本人は多い。
顰蹙するどころか、ハッキリと嫌悪感を顕わにしている人たちがほとんどだろう。 しかしそんな人たちでも、欧米人のマナーの悪さには、顰蹙もしないし、嫌悪感も抱かない。 むしろ欧米人たちのマナーの悪さを、まるで、マナーの悪さと感じていないようである。 こんなことがあった。 駅のホームで、人目もはばからず、大声で電話している男がいた。 見てみると、白人である。 後日知り合いにそのことを話した。 「いやこないだ、駅のホームで、大声で電話してる外国人がいてな。傍若無人とはあのことだね。周りの人たちのことなんか、てんで考えてもいやしない」 「韓国人か?」 いかにもマナーの悪い、韓国人のやりそうなことだ、と、云わんばかりに眉を顰めた。 「いや。西洋人だったな。あいつらのほうが、東洋人より、よほどマナーが悪い」 そう云うと、 「おおかた、先方の声が聞き取りにくかったんだろう」 韓国人ならば、唾棄しかねないが、西洋人ならば、マナーの悪さにもそれなりの理由をつけて、理解を示そうとするものらしい。 東洋人に対しては、明治以来、他のアジア諸国が欧米列強の植民地となって搾取されてきたなかで、日本のみが独立を保持し、欧米列強に伍し得てきたと云う優越感を、いまだに持ちづづけているのだろうか。 そして西洋人に対しては、明治以来、欧米列強の文明文化文物を畏敬し、崇め奉り、手本として邁進してきた劣等感を拭いきれないのだろうか。 それとも、先の大戦で、米国にしたたかにぶちのめされた敗北感によるものなのだろうか。 そう云えば、ある外国人が云っていた。 日本人とは不思議な人種だ、自分たちを打ち負かし、国土を占領して支配していた異人種に、こうまで親愛の情を寄せるとは、と。 西洋人であろうが、東洋人であろうが、悪いものは悪いし、いいものはいい。 行為で判断するべきであって、人種で判断するべきじゃない。 西洋人ならよくて、東洋人なら悪いと云うのは、なんとも浅ましい心性である。 |