2014.10.05 Sunday
伊藤博文が暗殺されたとき……
伊藤博文が暗殺されたとき、松下村塾以来の知り合いであり、時には政敵、時には政友として、幕末の風雲期から、明治新国家の建設、発展をともに担って来た山懸有朋は、
「一介の武弁として、伊藤のような死が羨ましい」 と、洩らしたそうである。 本日10月5日は、“スケバン恐子”こと、桜塚やっくんの命日である。 彼は中国自動車道で、自らの運転する車の事故を後続車に知らせるため車を降りた仲間をかばい、37年の短い人生を散らした。 やっくんの事故死以来、それ以前から“魔のカーブ”と呼ばれて、事故多発地帯であったその場所での事故が半減したと聞く。 やっくんの死を惜しみ、悼む声は多い。 しかし、仲間をかばい、そのままだと多くの死傷者を続出させたであろう道路の安全性を高からしめたことを思えば、一個の男子として、“スケバン恐子”やっくんのような死が、羨ましい。 |