2015.10.09 Friday
西園寺公望 1
昔、西園寺公望と云う人がいた。明治末期に内閣総理大臣をつとめた人である。
その姓名からうかがわれるように、彼の出自は、やんごとなきお公家さまである。 その西園寺氏が正式に首相の印綬を帯び、第一次内閣を組織したのは、一九〇六(明治三十九)年のことであるが、彼はそれ以前にも、首相代理の職を勤めたことが二度ある。 その二度目のときは、第四次伊藤博文内閣が総辞職する際、渡辺国武と云う大蔵大臣であった男が、頑固にも辞表を出さなかったのを、なんとか説得して辞表を出させるために、任命されたのである。 渡辺は頑固一徹、自称剣道の達人で、生涯独身だったというカタブツである。 西園寺はその説得に手を焼いた。 或る日彼は家に帰ってくると愛妾(と、云っても、事実上の妻)の菊子さんに向かって、 「伊藤はんが面倒な仕事を押しつけなはって、こちはえらい尻ぬぐいでおすがな」 と、ボヤいた。 そしてなんと、 「どうも女遊びをしない人は、話がしにくうおすなあ。少しはこちを見習うとよろしい」 と、云い放ったのである。 しかし菊子さんもたいしたものである。 その言葉を聞いても怒るどころか、 「あんたのは話が通りすぎて、ゆきすぎと違いますか」 と、笑ったものである。 |